星新一ショートショート「鍵」(2022.10.03)
★星新一のショート・ショート
1.鍵
・男は鍵を拾った。なぜか心を惹かれ鍵を持ち帰った。丁寧に汚れを落とし錆を落とすと不思議な形をした鍵だった。男はその鍵に心を掴まれ、この鍵に合う鍵穴を見つけようと心に決めた。そしてまず、この鍵が落ちていた家に近づくと、古めかしい家の玄関の扉の鍵穴に恐る恐る鍵を入れようとした。
すると、後ろから「どなた?」と声を掛けられ、驚いて振り向くと、この家の主らしい上品な婦人が立っていて「なにか御用ですか」とたずねた。男はあわてて、「いえ、あの、な、なにも!」とだけ言って逃げるように立ち去った。
後日、もう1度、その家の玄関の扉の鍵穴に鍵を差し入れてみたが、鍵は回らなかった。男はそれ以来、時間が有ればその町のあちこちの家の玄関の扉の鍵穴に、その、鍵を差し入れてみたが、その鍵は回ることはなかった。何年もたち、男は鍵屋を訪ね、この鍵はなんの鍵ですか。どこの鍵ですかと効いてみた。鍵屋はいろんな資料を調べてくれたが、「わかりません。珍しい鍵であることは確かですか、なんの鍵か、どこの鍵かはわかりません」と堪えた。
男はますます興味を引かれ、日本中探し回ったが、この鍵に合う鍵穴は見つからなかった。男はついに外国に出かけて、この鍵に合う鍵穴を探す決意をした。
あちこちの国を周り、あちこちの町を巡り、あちこちの家を探し回った。多くの人に出会い、多くの話を聞き、多くの体験をした。嬉しい話、悲しい話、たくさんの話を聞いた。嬉しい体験、つらい体験もした。
そして年をとって旅行することができなくなり故郷に帰ってきた。そして鍵屋を訪ねて「この鍵に合う鍵穴のある扉を作ってください」と頼んだ。鍵屋も年をとっていたが、男の頼みを叶えてくれた。
男は自分の部屋に届けられたドアを見て満足した。これで思い残すことはないと、震える手で、その鍵を鍵穴に差し入れた。そして思いを込めてゆっくりと鍵を回した。何十年も待ち続けたその一瞬がおとずれた。
鍵カチッと音がして、扉が開いた。
扉をゆっくりと開くと、扉の向こうは眩しい光が……そして声が聞こえた。
おめでとう。待っていたよ。
お前の一生の努力が報われた。
お前の一生の旅のご褒美をあげよう。
ほしいものを言ってごらん。
なんでもあげよう。
どんな望みも叶えてあげよう。
男は答えた。
ほしいものは何もありません。
この鍵に出会えたおかげで、私は多くの旅をし、多くの人に出会い、多くの経験をしました。嬉しいことも悲しいこともつらいこともしんどいこともいまとなってはすべて素晴らしい思い出と幸せな体験でした。私はこの鍵のおかげで幸せな一生を送ることかできました。ありがとうございました。
男はゆっくりと扉の向こうの光の中に消えていきました。
そうだ。誰もが、この男と同じように人生のいつか、鍵を見つけ、その鍵に合う鍵穴を探して旅をするのだ。旅の途中、多くの人と会い、多くの体験をするのだ。そして旅の最後に、自分の鍵に合う鍵穴を見つけるのだ。
そして、それを幸せに思うか、不幸せに思うかはその人しだいなのだろう。
私は、あの交通事故が私の見つけたから鍵だったのだろう。その鍵の意味、鍵の目的を求めながら長い長い旅が始まったのだ。
そしていつかその旅の終わりに、この鍵に合う鍵穴が見つかり、そのドアの向こうに光の世界が開けるのだろう。