スペシャル対談

2005年5月号 高島市長 海東英和さん


3月21日、滋賀県高島市今津サンブリッジホテルにて、海東市長との対談が行われました。5町1村が合併してできた高島市のめざすところは果たして…
 

「ふるさとを100年後の子どもたちに…」


高木 この度は、市長にご当選おめでとうございます。まずは『地球村』との出会いからお話いただけますか。

海東 10年ほど前、高木さんの講演をつれあいと一緒に聞きにいったのが最初の出会いです。まずはクルマを軽自動車に変えました。それから食べるものが変わり、シャンプーや洗剤を使わなくても生活ができることに気づき、少しずつ生活を変えていきました。情報に踊らされて消費している自分たちの姿も見えた気がしました。当時、町も地代の流れに乗せられていて、壊す開発が善だと思っていましたが、何を残し、何を守るべきか、少しづつ考えることができました。町議をしておりましたので、『地球村』では地球環境の具体的なデータ、国連レポート、新聞報道とか、具体的な裏づけの資料を教えていただけることも、非常にありがたかったです。勉強させていただいたことが、その後の自分の活動に深くつながっていきました。

高木 『地球村』では、非対立という考え方が非常に大切な部分ですが、海東さんにとって、この考え方をその後の活動に生かせたというエピソードはございますか。

海東 まだ「生かせた」という完了形ではありませんが、「生かそう」と思っています。特に町長から市長になって、関わる人たちが多くなりましたし、今までのように十分お互いに知り合ってからの仕事ではないので、できないことをとがめるよりも、できる方向に非対立で話し合っていくことを心がけなければならない状況です。非対立といっても具体的にイメージが描けないので、「北風と太陽」といっています。戦うよりもお互いが向き合う、目的に向かっていく、このことの大事さをこの頃感じます。

高木 新旭町長地代のご活躍は、よく存じておりますが、そもそも、ふるさとの景観を残していくチャレンジはどのようにして進んだのでしょうか。例えば、川を引き込む台所(かばた)は残そうという動きでしょうか。

海東 はい!はっきりと存続の方向に向かっていると思います。本当は壊し始めていたんです。かばたがあると、湿気が家の中にこもるということで、若い人が家を建てるときはつぶして埋めるのが地代の流れでしたが、写真家の今森光彦さんに撮っていただいた町のパンフレットで、かばたのつぼ池にスイカが浮かんでいる写真を見て、みんなが「これがやっぱり自分たちの原風景だ」ということに気づきました。その後、今森光彦さん(写真家)の映像で、毎年の暮らしの営みが、生き物たちのリズムともつながっていることが映し出されて、もう逃げも隠れもできないというか、100年後の子どもたちから「お父さん、おじいさん、このときになんで守ってくれなかったの?」と言われそうな気がしたんです。今森さんの写真は、未来からの問いかけみたいにも思えました。

高木 すばらしいですね。今森さんの写真を使って、消え行くものを積極的に残していこうという方向転換は本当に見事でした。今森さんを招くアイデアはどうやって生まれたのですか。

海東 ここは都会と比べたら遅れている、都市と比べたり何もない…と数年前までは多くの人がそう思っていました。写真を撮る前、今森さんと町を歩きながら「ここらの自然ってあきませんわー」というと、彼が「いやいや、ここにはアマゾンよりも豊かな自然がある」というんです。ならば、その豊かさを見える形にしたいと。「日本の里山っていうのは、人が手を入れることで多種多様な生物が息づいている。そういう目で見ると、高島は他と比べることのできないおもしろさを内包している」という話から、「そういうふるさとの姿をあらわすようなパンフレットにしよう」という話になりました。人が手を入れることで、バランスが保たれてきた自然との仕組みを再生させたいというメッセージを込める。そして実は、お金がなかったんです。だから売れるものに仕上げたいとの思いもあり、今森さんにお願いしたんです。そして、写真集は完成しました。
 

「新旭町長地代の取り組み」


高木 新旭町というと、地雷処理と子どもサミットが有名ですが、どういったきっかけで始めたことですか。

海東 地雷処理は、実は望んで始めたことではありません。町に企業の火薬爆破試験場があり、日本の地雷(約100万発のうちの約70万発)を持ってきて爆破させるという話が来て、町の人たちは「心配」という反応でした。けれども、国際条約に基づいて行う大事なことだということは我々にもわかりましたし、だからせっかく行われる地雷処理を、学びの機会、世界に出会う機会にしようと考えました。高木さんのコロンブスの話を思い出しました。先進国が持ち込んだ換金作物や武器によって犠牲となった国が、現在の地雷被害国でもあるわけで、それを際立たせると反発を受けるので、クリス・ムーンさんを呼んでマラソンをしたり、葉祥明さんの絵本の原画展をしたり、共感を広げる方法を探りました。

高木 まさに「非対立」が成功したのですね。次は『自治体サミット』についてお話しください。

海東 これも高木さんの呼びかけと中司枚方市長のリーダーシップで始まりました。これまで後始末の環境行政ばかりをしてきた地方自治体が、自らの判断で未来を変えていこうという集いです。国や県の指導でなく、自分らの判断で環境政策の方向性をはっきりともとうというところに大きな意味があると思います。

高木 どこかの町の成功例を、自治体サミット参加の30の町で学びながら、ネットワークを組んで進めていけば、すごく大きな力になりそうですね。サミットは、最初のテーマを「ゴミと温暖化」ということでスタートしましたが、札幌市や枚方市のように、多くの自治体でストップ・ザ・温暖化キャンペーンもぜひよろしくお願いします。

海東 新旭町でも取り組むことを提案説明にも書いていたんですが、今回の市町村合併で高島市になりましたので、また一から仕切り直しです。市民参加政策のメニューとして立ち上げていきたいと考えています。
 

「変化はある日、オセロゲームのように」


高木 では最後に、市長としての抱負、個人としての抱負を教えていただけますか。

海東 僕の場合、市長としても個人としての抱負も、すごく重なるんですよ。私は天然そのままで市長させてもらっているところがあるので。今回の選挙でも、「やりたくないことはやりたくない」と本音で語りました。やりたくないというのは「あったらいいなは、なくてもいける」といういい方で説明しました。ないと暮らしていけない、危険だというものは、気張ってやります。けれど「あったらいいな」という道や施設や制度は、考え直しましょうといいました。公共料金も「こういう部分は上げます。例えばゴミ袋代は上げます」といいながら選挙をしたんです。「ほとんどゴミを出さないおばあちゃんも、いっぱい出しているおっちゃんも、税金で同じ金額ではおかしいでしょう」と話して、負担は軽く、サービスは高くと、耳ざわりの良い合併の中でも「本当の均衡を取りたい」と話せば、わかってもらえたんです。

高木 そうですね。日本のように、「税金でやるのが当たり前」という考えが、道路や箱ものなどの公共事業の無駄などを生むんです。「自分のお金でやっている」という意識があれば、医療、福祉、教育なども、もっと真剣な見直しができるはずなんですがね。

海東 もう一つの抱負は、「環の郷・高島を作ろう」ということで、つながりを結び直すことをさせていただきたいです。自然と農業、生き物、人と人のつながりを結びながら、子どもたちには、ふるさとをきちんと美しいままで渡したいと思います。僕はそのために、喜んで働きます。

高木 静かな情熱を感じますね。

海東 こういうタイプの首長って経験がないので、合併した職員たちも戸惑っていますが、わかってもらう努力を市民にも職員にも続けていきます。メディアの力も借りていきます。かばたも、僕が「すごい」といっている段階では、殆ど見向きもされなかったんですよ。ところが、今森さんのスイカが浮いている写真の力はすごかったし、NHKの映像では「参った。ごめんなさい。かばた様~」という世界でしょ。田中三五郎さんも、一気にヒーローになりました。町から出ていった人も、針江という集落を誇らしく思って、お正月やお盆に帰ってくる様子が変わりました。

高木 それは素敵な変化ですね。まるで、オセロゲームのコーナーを取ることで一気に白く変わったみたいですね。何もない、恥ずかしい、ダサい、古い、遅れている…というところから、かばたってすごいぞ、頑固爺さんはヒーローだぞ、ふるさとは美しいぞと、みんなが良さを認めて、地元に誇りを持てて、もう最高ですね。

海東 高島には、棚田百選、滝百選、渚百選、桜百選、並木百選に選ばれているいいところがたくさんあります。そして、百選のすぐそばにもっとおもしろいものがあることを、雰囲気的に僕らは感じ始めています。

高木 それはすごい。『地球村』のエコツアーがたくさんできそうですね。これからもどうかご活躍を。渡しも応援させてもらいます。『地球村』もよろしくお願いします。海東さんのその他の活動、スロータウン連盟、バイオマス利用、食育などにも期待しています。

 

写真集「自然とともに生きる 滋賀県 新旭町」
写真:今森光彦 発効:新旭町役場 価格:1,100円(送料込み)
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