2006年3月号 横浜F・マリノス(元日本代表)監督 岡田武史さん
1998年にサッカー日本代表監督としてワールドカップ出場を果たし、1999年J2に転落したばかりのコンサドーレ札幌の監督に就任、翌2000年には J2優勝。2003年、横浜F・マリノス監督に就任。2年連続で年間王者に輝く。今回は、その岡田さんと高木さんの素敵な対談です !
「生き方、哲学、心のあり方が問題」
高木 『地球村』との出会いはいつでしたでしょうか。
岡田 日本代表チームのコーチをしているときですから、96年より前です。元々、学生時代にローマ・クラブの『成長の限界』や、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んで、「これが本当なら、大変なことになるな…」と思っていました。
高木 『成長の限界』は1972年の本ですから、かなり開眼が早かったのですね。
岡田 環境に関心を持ち、雑誌などで高木さんの活動を知りました。『地球村』の事務局を訪ねて、『地球村』に入会し、その後、講演を聴きに行くようになりました。
高木 講演を聴いていただいていかがでしたか。
岡田 それまでは「大変だな」と抽象的に捉えていたことが、「これは大変なことになるんだ !」という衝撃を受けました。
高木 私の講演は、データや知識も重要ですが、自分自身の問題として伝わるように対話型で進めているからだと思います。さらに私は、環境よりも、もっと伝えたいことがあるんです。
岡田 高木さんと何回かお会いして、その中で、生き方、哲学、考え方、価値観が一番大事なんだと、わかってきました。
高木 その通りです。知識として環境をとらえても「もぐら叩き」です。現状の社会、特に日本では根本的な考え方が欠けているのです。
岡田 地球全体で環境問題が複雑に絡み合っています。高木さんがおっしゃるように、解決する鍵は、生き方、哲学だと思います。高木さんはおそらく、「社会の仕組みを変えることが最終目的ではない」と、考えておられるのではありませんか。もちろん社会の仕組みは変えなくちゃいけないんだけど、人間の心の持ち方というか、生きる意味というか、そこを変えることを考えておられるのではないでしょうか。
高木 まさにその通りです。社会の仕組みは、心から組みあがっていくものですから、その心のあり方を根本から変えていく必要があると考えています。たとえば離婚、不登校、自殺、犯罪、精神病が増えていくのは社会の仕組みの問題であり、その社会の仕組みは人々の価値観が作るのです。そこで、人々の価値観を変え、社会の仕組みを変え、めざす方向を変えよう、生きる意味を問い直そう、これが私の願いであり目的なのです。
「感動を味わい、感動を与える生き方を」
高木 監督としての近況を教えていただけますか。
岡田 マリノスでは2年連続チャンピオンになって、それで去年のシーズンを迎えたのですが、僕は、もっとレベルの高いサッカーをして、「マリノスはすごいチームだ」といわれるような理想のサッカーをやろうとしたのです。結果は18チーム中9位です。「選手がいきいきとプレイすることが理想だ」と口ではいいながらも、もっと高いレベルを要求して、自分の夢のためにみんなを引きずりまわしてしまったんです。その失敗というか傲慢さが、自分の中に見えてきたので、今年、1年契約をしたんですけれども、新しいトライをしようと思っています。
高木 『オーケストラ指揮法』にも書いたことですが、私も指揮者としてトップ争いをしている時、自分の理想に向かってメンバーに厳しい練習を課しました。メンバーから「死鬼者」と言われたものでした。レベルは上がりましたが、2位で止まりました。ずっと2位。そして交通事故に遭いました。そこで私の価値観が変わりました。それまでのやり方が「まったく間違っていた」ことがわかったのです。以来、私は一変しました。メンバーに「あなたの理想とする音楽を聴かせてください」と告げるだけで、できるだけ指示、命令、指揮をしないという練習に変えました。メンバーの雰囲気も、演奏も劇的に変わりました。そして初めて全国コンクールで初優勝したんです。
岡田 練習量も減ったのですか。
高木 そうです。「今のよかった ! 感動した ! 今日は練習終わり ! これで缶詰 ! (封印という意味)」という日もあり、練習は10倍ラクになり、厳しさは10分の1になり、連勝、連覇でした。
岡田 高木さんがおっしゃっていることは「自由にさせておけばうまくいくよ」というような単純なことではないですよね。
高木 もちろんです。それならみんな1位ですね(笑)。
岡田 そうなんです。何となく僕が感じるのは、高木さんの合唱団の人たちは、演奏中、目がいきいきしていたのではないでしょうか。僕も練習のとき、選手の目がいきいきしているかどうかで判断するんですよ。
高木 目は脳の分化した器官ですから、まさに心のあり方のバロメーターです。当時、うちの合唱団は、審査員にもよく言われたものですよ。「この合唱団は、ミサ曲も楽しそうに歌っている」と。音楽に感動しているから、目がキラキラしているし、私も感動で涙を流しながらタクトを振っているんですよ。音楽もスポーツも根本は同じだと思います。感動を伝えたい、この喜びを伝えたい、そう思ってやっているのではありませんか。
岡田 そうです。マリノスに来たとき「おまえらに感動を教えてやりたい」って言ったんですよ。今の時代、感動が味わえない社会になっているような気がします。そんな中、スポーツというのは、自分で夢や目標を作って、その目標を達成する感動が味わえるものだと思うんです。それが、おととし、セカンドステージの優勝がかかった大事な試合を、些細なことで棒に振ったんです。僕は、選手たちが夢を簡単に投げ出すチームにしてしまったと思って、耐えられなくなって、すべての予定をキャンセルして家に帰りました。その翌日、全員を集めて、そういうことを伝えようと話し始めたのですけれど、途中から何をいっているかわからなくなって「おまえら、知っているか。黄河の水はな、下流に流れるまでに消えてしまっているんだ。これから大変な時代になるんだ。そういうときに生きていける人間はな、感動を知らなくちゃいけないんだぞ」なんて話していました。僕のミーティングはいつも理路整然としていて「こうこうこうだからこう。目的はこれ」といった感じですから、この時は、選手たちはポカーンとして聞いていました。自分でもどう収めていいかわからなくなって「ともかくな、みんなの夢をな、個人の感情で投げ出すなよ」と言って終わったんです。僕は、選手たちに感動を味わってほしいし、自分も感動していきたいんです。
高木 今の話、すごくいいですね。大切な部分は伝わっていると思いますよ。でももっと伝えられるようになったらもっといいですね。
「自然体で、勇気と希望を与えてください」
岡田 初めて札幌で高木さんにお会いした時、「僕は、口では地球環境とか偉そうなことをいっているけれど、実際にやっていることは『相手を止めろ ! 』『勝て !』みたいなことなんです。この矛盾に苦しんでいるんです」とお話しました。そのとき高木さんは「僕の中には矛盾はなかったなあ」とおっしゃられて、ちょっとショックだったんですが、勝負に勝つということと気持ちに矛盾がないということが明確にわかっていれば、わけがわからなくなったりせずに話せたのでしょうね。もしできれば、その辺りをお話いただけませんか。
高木 音楽の話に戻りますが、楽団員に「みんなの最高の音楽を実現しよう」と委ねる。演奏が終わる。そして、「最高の音楽ができたか」と訊くのです。すると「ああしたい」「こうしたい」という意見が出る。そこでもう一度やってみる。「これでいいか。これ以上は無理か」と訊くのです。それを繰り返すうちに、少しずつ変わってくる。ところが、あるときから、それが劇的に変わるのです。ここまで待てるかどうか、ここまで信頼するかどうか、そこが決定的なポイントなのです。コンクールでも「今日はがんばろう」とは言わないんです。「今日は最高の演奏を聴いてもらおう」と言うんです。するとみんな「この音楽の感動を伝えたい」と、感動しながら歌うんです。
岡田 もう一つ、訊きたかったことがあるのですが、今おっしゃったようなやり方をして、高木さんは結果を残さなくてもいいと、本心から思われましたか ?
高木 本当にそう思っていました。本心から、「最高の演奏をしたら結果はついてくる」と確信していました。現実に、私がやめるまで、10年間結果はついてきたんです。
岡田 僕も口ではそういうし、頭ではわかるのですが…。
高木 仮に負けたとしても、それはさらにすばらしいことなんですよ。自分が最高の演奏をしたと確信しているのに、負けたとしたら、もっとすばらしいものが存在するのですから。そんなすばらしいものに出会えたことがすばらしいんです。
岡田 相手に対して「悔しい」という思いはありませんか。実は、2年目のときに最終戦アントラーズと戦って、勝って優勝したんです。相手のトニーニョ・セレーゾは、ブラジル代表だった有名な監督なんですが、試合翌日、僕の家に花が届いたんです。「あなたのプロフェッショナルな仕事に敬意を表します」と書かれていました。この瞬間、僕は「負けた !」と思ったんですよ。「あ、これが勝負の真髄だ」と。僕は負けた瞬間に、相手をすばらしいなんて思えない。それが「いいチームだった」と相手に花を贈れる。この差はどうなんでしょうか。
高木 そのお話で思い出しました。私がずっと2位だったころ、1位だった指揮者の浅井敬壹さんは、僕が復帰後、初優勝したとき、僕を胴上げする輪の中に入ってくれて、涙を流して喜んでくれたのです。私は今もこのことが忘れられません。そのアントラーズの監督さんもそうですが、達人の域にいる人だと思います。
岡田 僕はそれから、勝った監督には花を贈っているんですよ。でも格好だけだなという気がします。心からではないのかもしれない。よりよいサッカーをしたいと思うことも「さすが岡田だ」といわれたい気持ちがあるのかもしれない。高木さんが10 連覇をされていたころは、そんなことは全く考えておられないわけですよね。
高木 はい、みんなが幸せであることが嬉しくて嬉しくて、言葉にならない…夢中でした。
岡田 イメージはつかめてきました。あまり理屈や左脳で考えないほうがいいみたいですね。
高木 そうですね。最後にひと言差し上げるとしたら、岡田さんが自然体で、サッカーを通して、人々に勇気と希望を与えてもらいたい。そのことを含めて、心の平和の実現に貢献してもらいたい。それをやることが『地球村』の村人なんです。『地球村』の村人として、幸せの種をまいていただきたいと思います。
岡田 自分のサッカーを通して、そういったことができるようにしていきます。今日は、どうもありがとうございました。
高木 こちらこそありがとうございました。
■岡田武史
大阪府出身。1980年政治経済学部卒。2009年現在、(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ日本代表監督。天王寺高校3年の時に日本ユース代表。在学中ア式蹴球部に在籍し、DFとして活躍。卒業後、古河電工(現ジェフ市原)に入社、日本代表としてロス五輪予選、メキシコワールドカップ予選などに出場。90年引退後、ドイツへコーチ留学、ジェフ市原のコーチを経て日本代表コーチ、九七年に日本代表監督就任。
【監督歴】
1997-1998 日本代表
1999-2001 コンサドーレ札幌
2003-2006 横浜F・マリノス
2007- 日本代表