スペシャル対談

2007年1月号 新春スペシャル対談 『地球交響曲』映画監督 龍村 仁さん

龍村さんが制作監督したドキュメンタリー映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』。この不思議な魅力を持った映画は、自主上映という形で全国に広がっていきました。『地球村』の仲間たちも自主上映会を開催しています。さて「第6番」のガイアはどんな世界でしょうか? (写真右が龍村氏)


映画は観客とのコラボレーションから


高木 お久しぶりです。龍村監督は、『地球村』をご存知ですか?

龍村 もちろんよく存じ上げております。『地球村』の会員の方が、各地で上映会をしておられますし、今日の出会いをお待ちしていました。

高木 ありがとうございます。映画は何年からでしたでしょうか?

龍村 撮影は89年からです。「1番」の完成が91年。ところが最初の1年は上映のチャンスがなかったんです。どこの映画館も上映してくれなくて…。1年経った頃、六本木の小さな映画館が「3000枚の切符を買い取るなら2週間上映しよう」と言ってくれました。つまり、「客は来ない」と思っているわけです。

高木 それで、どうされました?

龍村 私は、「映画は、作ったから映画というわけではない。観客がいて、見るという行為を媒介として双方向で生まれてくるものが映画なのだ」という根本的な考え方を持っておりまして、観客が見ていない映画は、まだ映画になっていないんです。そこで結局、3000枚の切符を引き取って、それを1枚1枚売って歩くという行為を始めました。ようやく3000枚売り切って、最初の上映が行われたわけですが、その2週間がきっかけとなって、自主上映しようという人たちが現れ始めました。それが92年です。

高木 当時は大変でしたでしょう。3000枚というと、大金ですね。

龍村 1500円×3000枚だから…450万円。当時、私はほとんどお金がなかったから、自分で切符を売るしかなかったんです。何十年ぶりに大学の同窓会に顔を出して旧友に会うわけですよ。私は京都大学のラグビー部でしたから、その頃の仲間たちは、当時、バブルの絶頂にいたんです。その連中が「訳はわからないけど、買ってやろう」と切符を引き受けてくれました。金がないということはマイナスに思えるけれど、一歩踏み出させてくれるきっかけでもあったわけです。今にして思うと、「6番」まで継続できたきっかけは、あの3000枚の切符を売らなければならいことにあったなあと思います。

高木 よく似ているなあと思うのですが、私も、音楽も会社も辞めて『地球村』の活動を始めたのですが、龍村さんもNHKという確実な路線を降りて、映画の世界へ入られた。それだけ、自分で撮りたい映像があったということなのでしょうね。

龍村 あたかもしっかりしたイメージを持っていて、それに邁進(まいしん)したように見えるかもしれませんが、そうじゃないんですよ。目の前のことをやっていると次のことが生まれてくるものです。自分の目の前にある与えられたことの中にちゃんと道がありますから、一生懸命やるわけです。すると、次へ進むべき道が見えてくる。それが、今の実感です。

高木 なるほど、それが龍村さんの成功の秘訣ですね。

龍村 そうなりますかね。「成功」と言えるのかどうかは、分かりませんが。

内なる「How to」を見つける映画


高木 ガイアシンフォニーは、「本当はみんなつながっていることを思い出そう」というメッセージのやさしさと、主義主張を感じさせないことが、多くの共感を呼ぶのでしょうね。

龍村 そうですね。いろんな種類の映画があっていいと思います。プロパガンダをきっちり主張する映画があってもいいし、それは多種多様の一つであると思っています。ガイアは、一つの価値観を「これはこういうことだから、わかりなさい。わからないのは間違いだよ」という気持ちが全くない映画です。私自身の生命観や人生観として、「あらゆる存在が、双方向でコラボレーションすることによって、何ものかが生まれてくる。その生じてくるものが大切なんだ」と考えているんです。表現者がいて、「これを教えてやろう」というのではなくて、聞き手がいて、それぞれ違ったもの同士でコラボレーションが起きる。この映画を見てもらうことで、見てくださる人の中に何かが起きて、そのことで勇気とか、力とか、元気とかが生まれればいいなと思っています。当初、「心の元気薬になってくれればいいなという映画です」という感じの文章を書いていました。

高木 今回の「6番」は、ハイスピードカメラの映像がよかったですね。川の流れの波や刀鍛冶の火花とか。あれを見たときに、宇宙のカオス(混沌)の揺らぎ、あの一つの揺らぎが100億年なのだと感じました。物理学者として感動しましたね。

龍村 ああ、そうでしたか ! そういう解説を、物理学者にしてほしいと思っているんですよ。

高木 あのシーンは、私には、まさに銀河叙事詩(オデュッセイ)でした。スローモーションにすることで、より大きな時間の流れを感じ、生生流転する巨大な変容を感じますね。教えるのではなく感じてもらう・・・。実は、私の講演も「これはダメだ! こうすべきだ!」といった抗議や主張ではなく、「こういう事実があります。どう感じますか」と投げかけ、「本当はどうあればいいか」と問いかけるのです。ガイアもそういう方法ですね。ところで龍村さんの「本当はこういうことをわかってもらいたいんだ」という願いは何なのでしょうか。

龍村 それは、一番答えにくい質問です。明解な答えを持って、この映画を作っているわけではないのです。人類という種は、誰かから「How to」を教わりたいと求める部分があるんです。それは人間の本性としてあるんですけれど、一番重要なことは、外からの「How to」だけでは結局うまくいかないんです。自分の内なる「How to」というか、自分自身で発見しない限り、究極の「How to」を外に求めても見つからない。つまり、自分の道を自分で見つけることが、人類という種の幸せの根源だろうと思う。なぜ私は私なのかという部分に気付き、しかし深いところで全てとつながっている感覚を見つける幸せ。私が一番願っているのは、観客の一人ひとりが、自分の内なる道を通って、みんなが宇宙や神秘といいますか、本質といいますか、そこへたどり着けることだと思います。また、そういう作りの映画になっていると思います。

高木 なるほど。人間は今、地球にとって厄介な存在になっていますが、はじめから厄介だったわけじゃない。長い長い歴史の中で、ほんの一瞬、つまり産業革命以降の100~200年がおかしいだけで、それ以前は問題は無かったのですからね。人間は、本来「基本OS」を持っていて、それは、自然環境を破壊しないし、他の動物ともうまくやっていけるし、おまけに「基本OS」は他のすべての生命たちとネットワークしているんです。ところが、最近、自分で作ってインストールした「新しいソフト」によって変化が始まった。今の私たち人間のおかしさは、「新しいソフト」「新しいウイルスソフト」を作ったこと、インストールしたこと、それによる誤作動だと思いますね。

龍村 まったく同感です。そのとおりだと思います。そういう状態になってしまうのも、人間の特性なのでしょうね。しかし、こういう時代であっても、「大いなるつながり」の中で生かされていること自体は何も変わっていないわけです。アボリジニの人たちと私たちとは、何ら違っていないのだけれど、違いは、「生かされている、つながっている」という感覚がなくなってきていること。その原因は、すべての存在が、自分と他者に分かれ、他者を自分の欲望のためにコントロールできると思い込み始めたところだと思います。生命というものは、できるだけ長く健やかに生き続けたいという意志を持っているものだと思います。しかがって、生命の危機に陥ったとき「このままではやばいぞ」と、生命自身が気付くことによって、安全な方向へ向かうのではないかと考えています。そういう意味で、私は、ガイアの自己治癒力の可能性をすごく感じるわけです。心の進化というか、ステップアップがあって、選択が行われて、自己治癒力が発揮できるだろうと思うんです。「ガイアの出演者たちは楽観的だ。どうしてあんなに楽観的でいられるのか」と、よく訊かれるのですが、出演者の方々は、皆シリアスでネガティブな体験をたくさんしています。そこを通過している人ほどポジティブになっていくのは、一体なぜなのかといえば、それは現状の問題に対して、きっちりとした姿勢で、全身全霊、全知能をかけて努力するということがとても重要で、その上で「結果は全て委ねる」という姿勢が、楽観的に見えるだけなんだと思うのです。

高木 楽観より達観なのでしょう。私も、「事実を受け止める」ことができれば、怒りや危機感を超えて、希望が見えてくると思います。私は、すべての存在は「命のバトンランナー」だと思うんです。そういう命のつながりを感じることで、人々は、自分の道筋を発見できるんです。私は、講演会でもワークショップでも、そこに重点を置いています。それを実現していくことが私のライフワークなのです。龍村さんも、講演やワークショップをされているのですか。

龍村 ワークショップという形はないですねえ。自主上映の後で、主催者のみなさんとお話することはあります。映画には、その後ろに面白いエピソードがたくさんありますから、話しているうちに夢中になってしまいます。

見えないもの、聞こえないものの伝承


高木 ところで、「第7番」のご予定は何か考えていらっしゃいますか?

龍村 あまり先のことは考えずに、今、できることを精一杯やるだけなんです。今までも、その流れの中で、自然に次の行動が生まれてきました。最近は、「ベートーベンは第9まで行って、歓喜の歌で終わるから、オレも第9まで行くか」などと、冗談としては話しておりますが、本気でその設計図を考えたことはありません。今は、「6番」を作ったばかりですし、これから「6番」をみなさんに見ていただき、どう受け止めてもらうかが楽しみです。

高木 これは私の印象なのですが、いままで、「5番」の誕生のシーンなど感動のシーンがたくさんありましたが、「6番」は一番穏やかに、柔らかに感じました。ピアニストのケリー・ヨストさんの穏やかな語りもよかったし、ラヴィ・シャンカールさんの娘さんの語り、あれもすばらしかった。あのシタールの旋律の揺らぎ、すごいですね。あの演奏はすごかった。

龍村 あのシーンを高木さんに、そういう風に見てもらえるのが非常にうれしいです。その感動は、プロだからお感じになるのでしょうね。プロのミュージシャンになっていく中で必要なのは、第六感というか、聞こえない音、見えないものを感じ取る力、またその伝承法ではないでしょうか。人類という種が、この時代に一番持っていないのは、その回路だと思うのです。コンピュータがどんなに進化して情報量が大きくなったとしても処理できない、全宇宙を運行せしめているほどの無限の情報量を一瞬にして処理するような交換回路を、人類という種の中に開くことができる。そのことをあのシーンは見せていると思っているんです。

高木 あの娘さんはとても聡明ですね。お父さんに対する言葉にも才能の輝きを感じました。彼女とお父さんの交流を見ていて、人類の希望を感じたといってもいいほどです。

龍村 ああ、本当にその通りです。祖父的な世代から、その身体の中に吸収してきた世界観の大切なものを、世代を超えて、孫、ひ孫の代にパスされることが人類の希望なのだということです。老人たちが自信を持って、身体性の価値観を伝えていったらいいと思う。大いなるものにつながれているという感覚の世界をね。

高木 それが命の伝承ですね。音楽の伝承においても、楽譜には書けない部分の抑揚を交換する能力が人間には備わっているのだと思いますね。

龍村 そう、そこが伝えられることがすごいと思うんです。見えないもの、聞こえないものをちゃんと感じ取る力が重要で、ガイアシンフォニーではそこを見てほしいなと思っているんです。

高木 お話は尽きませんが、そろそろこの辺で。実は6月3日(日)には、私たちが大阪で「第6番」の上映会をさせてもらいます。龍村監督との対談トークライブもする予定です。よろしくお願いします。

龍村 そうですか。それは嬉しいです。ぜひ、よろしくお願いします。

高木 龍村監督のご活躍が、私の励みになっています。これからもご活躍をお祈りしております。ありがとうございました。

龍村 お互い、がんばりましょう。ありがとうございました。

※ 6月3日(日)の地球交響曲上映イベントの詳細は追ってお知らせします。
■地球交響曲(ガイアシンフォニー)http://www.gaiasymphony.com/