【地球は今...】今は昔、江戸の食生活は・・・
江戸時代の人たちはどのような食事をしていたのでしょうか?
今回は、地球環境の現状を少し離れて、江戸の生活を垣間見ることで、私たちの食生活を考えてみましょう。 (事務局・渡辺裕文)
●江戸の一般人の一日
江戸での父親と母親、子どもの三人暮らしの一日の生活です。
(「江戸っ子は何を食べていたのか」より抜粋)
・ 夜明け(明け六つ)と同時に長屋の入り口にある木戸が開けられて一日が始まります。
母親が起き、かまどの火を入れてご飯を炊きます。朝は炊き上がったご飯と味噌汁、漬物。
生活に余裕があると納豆や煮豆などのおかずが食卓に並びます。
・ 朝ごはんが終わると、子どもは寺子屋(※)へ、大工など外に仕事場がある父親は出かけていきます。
父親のお昼は、弁当を持っていくこともありましたが、屋台などがたくさんあったため、外で昼ごはんを取る人も多かったのです。
・ 寺子屋は、お昼はいったん閉まるため、子どもは家に帰り、昼ごはんは母親と子どもが一緒に食べます。
かまどの火をおこすのも手間であったため、朝炊いたご飯をお昼と夜に食べる生活が普通でした。
昼ごはんは、ご飯、味噌汁、野菜の煮物程度でした。
・ 昼ごはんが終わり、子どもはまた3時ごろ(八つ時)まで寺子屋で勉強をします。
・ 夕方、父親は家に帰ったあと銭湯へ行き、その間に母親が晩ごはんの準備をします。
・ 晩ごはんは、冷ご飯を茶漬けにして漬物程度。時々、煮物や焼き魚がついたり、冬は味噌汁にご飯を入れておじやにしたりするぐらいです。
晩ごはんの後は倹約するということもあって、早く休むのが普通でした。
こんな風に一日3食食べるようになったのも、元禄年間(1700年ごろ)以降のことで、それまでは「朝菜夕菜」という言葉があるとおり、一日2食が普通でした。
※江戸には寺子屋が累計1500教室以上、成人男子の識字率も約8割といわれています。
●どのように食材を買っていたのか?
当時は行商人が長屋に入ってきて、いろいろな食材を売り歩いていました。
野菜は、にんじん、大根、里芋、きゅうり、なすなど、中にはタンポポなどの野草も食材でした。
魚介はというと、しじみ、はまぐり、あさりなどの貝は江戸の近海で獲れたものが運ばれてきたのですが、イワシやサンマ、マグロなどの魚は時々夕食に出る程度でした。
他に、ゆで卵、そば、おでん、大福もち、お汁粉などの行商もありました。
●どんなおかずがあったのか?
江戸時代には、おかず番付というものがあり、相撲の番付表と同じようにどんなおかずに人気があったのかということが一覧になっています。
このおかず番付は、相撲が東方と西方に分かれているように、精進方(野菜中心の料理)と魚方(魚を使った料理)に分かれています。
それぞれからいくつか紹介します。
〔精進方〕
「八杯豆腐(あんかけ豆腐の一種)」、「こぶあぶらげ」、「きんぴらごぼう」、「焼き豆腐のすまし」、「ひじき白あえ」、「切干煮付け」、「芋がらあぶらげ」、「あぶらげ付け焼き」。
季節ごとに、「けんちん」、「ほうれん草ひたし」、「木の芽田楽」、「冬瓜くず煮」、「なす揚げだし」、「ふろふき大根」、「山掛け豆腐」、「湯豆腐」、「納豆汁」など。
〔魚方〕
「めざしいわし」、「(貝の)むきみ切り干し」、「芝えびからいり」、「マグロ味噌汁」、「たたみいわし」。
季節ごとに「いわしつみれ」、「数の子」、「するめつけ焼き」、「こはだ煮浸し」、「どじょう鍋」、「酢だこ」、「焼きサンマ」、「焼きハマグリ」、「サンマ干物」、「しらす干し」、「さわらあんかけ」など。
※名前だけですぐにわかるようなお惣菜などが並んでいます。
冷蔵庫も長距離輸送もない時代に、近郊で作られた有機の野菜や近海の魚介などでこれだけ豊かな食生活をすることができていたのです。
●「今」という時代は?
私たちの食事は、さらに遠くから食材を運び、肉類や果物、加工食品やお菓子など見た目はより豊かになっています。
しかし一方で、残留農薬や食品添加物などの食の安全性の問題や食材を遠くから運んでくるエネルギーの問題、大量の食品廃棄の問題など、普段私たちが見ようとしていない問題がたくさんあります。
どちらの生活がより豊かなのでしょう。この機会に考え直してみませんか。
【私たちにできること】
・できるだけ地元の食材を選ぼう
・有機農産物などを産直で手に入れよう
・加工した食品を買わないように心がけよう
・家庭菜園や援農を始めてみよう
〔参考・引用文献〕
「大江戸庶民いろいろ事情(石川英輔著、講談社文庫)」
「江戸っ子は何を食べていたのか(大久保洋子著、青春出版社)」