【地球は今...】江戸時代の経済
昨年9月の『地球は今・・・』シリーズで、江戸時代の食生活を考え、その豊かさに感心させられました。
今回は200年間、政治的に安定していたといわれる江戸時代の経済が、どのようなものだったのかを見てみましょう。 『地球村』事務局
●江戸時代の人の収入は? (「江戸の家計簿」より)
一年間の収入から、職業別にその暮らしぶりをみるとこのようになります。
〔大工さんの場合(江戸中期、夫婦と子ども1人)〕
・収入:金約26両(1日4時間半程度の労働を約300日)
・だいたい月に2両ほどで生活していた。食費が約70%、
その内、米が23%。家賃が8%など
〔農家の場合(江戸後期、江戸近郊、夫婦と子ども1人)〕
・収入:金約47両に相当(米20石、麦、大根などの収穫)
・年貢(米5石)や地代、翌年分の種籾、運賃などの必要経費で約30両。
残り1/3(約16両分)で生活(主食6石、塩・農家具7両など、野菜は自給)
〔下級武士の場合(江戸後期、夫婦と子ども1人、下男下女を1人ずつ)〕
・収入:金約28両(70俵5人扶持)
・主食(米)7両、衣食費9両、下男下女の給金4両など
※〔お金の単位〕
江戸時代は米を中心とした経済で、米1石=金1両。
金、銀、銭の3つの通貨が使われており、
交換比率は変動しましたが、だいたい金1両=銀60匁=銭6000文
●200年間ほとんど物価が上がらなかった
江戸時代の200年間の物価は、他の時代と比べて、かなり安定していました。
・米1石の価格は、豊作や凶作、飢饉などで変動はあるが、200年間ほぼ銀60~80匁で推移していた。
急激な上昇は、江戸幕府に影響力がなくなった安政以降の幕末だけ(グラフ:江戸物価事典より)
・かけそばは、1668年に16文と決まった後、1856年に20文になるまでずっと同じ価格
・食品や日用品の価格は比較的安く、町民が買うお米は1升100文。
ほかに、大根8文、しじみ1升6文、寿し1個8文、醤油1升188文、酒1升248文など
●税金は「四公六民」?
税金はどうなっていたのでしょう。
まず、江戸時代の人口の8割を超える農民の年貢は「四公六民」と言われ、生産量の40%を年貢として、残り60%を農民に残すのが標準でした。
ところが実際の年貢は?
・幕府領では実質28%ぐらいしか納めていなかった
・裏作の麦などの収穫は対象になっていなかった
・8代将軍吉宗以降は、その年の収穫に係らず一定量を納める努力をして収穫を増やすようにしたため、実質の年貢の比率は下がったが、有り余るような生活をしていたわけではない
次に、町人の税金は?
・江戸の町では「公役(くやく)」という税金があった
・土地の面積に応じて銀を徴収(固定資産税のようなもの)した。
都心部(日本橋など)では土地100坪に対して銀30匁(大工の1週間の日当)ほどのものであった
江戸時代、主たる税金としては、農民の年貢以外に消費税などの物品税もなく、税金が掛けられている感覚はほとんどなかったのです。
●現金収入がなくても・・・
江戸時代の人々はそれなりに暮らしを楽しんでいました。
・花見や神社仏閣の参詣、花火など、弁当を持って名所へ遊びに行っていた
・旅行もかなり自由にしていた。東京から京都への旅は半月で約1両が普通。
文政13年には日本人の6人に1人は伊勢参りをしていた。お金がなくても無銭旅行の巡礼者となって伊勢参りをしていた
●小さな政府
支配階級である武士は人口の5%(武士の家族も含めて)で、例えば、江戸の町奉行所の役人290人で50万人都市江戸の自治や治安を行っていました。
それでも、犯罪などは年に数件程度でした。
現在の東京都(人口1200万人)の職員約17万人、犯罪発生件数23万件と比べると、いかに穏やかな社会だったかがわかります。
・自治組織(町名主、家主の五人組)が、戸籍調査、訴訟の和解、不動産の登記、紛争の調停から、喧嘩の仲裁、捨子や行倒れの世話、火の番などを行っていた
・江戸以外の「村」では、寄合(1軒の家で一票持っており、多数決や合議制で決定した)で村の決めごとを決めるというように、独立した自治を民主主義的に行っていた
現在の国家予算は総額で240兆円。国民一人当たり年間約200万円を税金などで負担していることになります。
江戸時代の小さな政府による社会に比べて大きな費用が掛けられている割に、犯罪の多発、無駄な公共事業など、より住みにくい世の中を作り出しているような気がします。
社会のあり方そのものを見直すときにきているのではないでしょうか。