スペシャル対談

2009年6月号 文化人類学者 辻 信 一さん

文化人類学者で明治学院大学国際学部教授の辻さんは、「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表や、NGO「ナマケモノ倶楽部」の世話人としてもおなじみ。
2007年3月号に続いて、スペシャル対談には2回目の登場になります。価値観を共有する2人のお話は尽きることなく…。



■ ブータンと日本の共通点

高木:こんにちは。ブータンから戻られたところと聞いて、今日はそのお話を聞きたいと楽しみにしていたんですよ。ブータンは何回目ですか?

辻:5回目です。最初は、王様がGNH(国民総幸福)という発想をいだく国の人って、ほんとうに幸せなのか、確かめたくて、5年前に一人で訪ねました。それでブータンの人々の明るさ、人懐っこさ、優しさに触れて魅了されたんです。それ以来、学生を連れていったり、一般の方とツアーを組んだりしています。

高木:そうでしたか。ブータン人のその優しい気質は、昔の日本人と似たものなのでしょうね。

辻:実はね、幸せということを考えるときに参考にしている大事な本があります。渡辺京二さんという九州の方が書いた『逝きし世の面影』という本で、江戸時代から明治にかけて、来日した数多くの外国人が書き記した日本社会についての記録から、当時の日本人像を描きだす本なんですけれど、それとぼくのブータンの印象は重なるところが多いんです。

高木:なるほど。私もそう思っていました。

辻:当時、日本に来るぐらいの外国人は、広く世界を見聞していた人たちだと思いますが、その人たちが口をそろえて、日本人の幸せ度の高さにびっくりしている。また印象的なのは都市を含む日本の風景や景観の美しさに感動していることです。

高木:江戸は100万人都市なのに、当時の大都市ロンドンやパリのような汚物や汚臭が無かったし、川には清流にしか生息できないシラス(稚魚)が泳いで、見事な循環型社会を作っていたらしいですね。

辻:「日本は花に満ちている」とか、「町自体が庭園であるガーデンシティだ」とかと、その美しさを褒め称える文書が多いです。とにかくブータンは、その本から浮かび上がる日本人の姿と重なる部分が多くて、やたら懐かしいんですよ。


■ 経済発展の果てには…

高木:ブータンの若き国王の評判はいかがですか。

辻:ブータンの人々は、第4代国王と同様、第5代国王に対しても大変な信頼と尊敬を寄せています。昨年、憲法を発布して立憲君主制になりました。その憲法も非常にユニークで、政府というものは人々が幸せになっていくための条件を整える責任があるんだという考え方を、国民の側から政府に対して徹底的に押し付ける内容なんです。

高木:国民主権の憲法ですね。でも私は、ブータンは何もしないことが幸せだと思うのです。幸せの中身によりますが、近代化を進めると、不幸になると思いますが、見通しはいかがですか。

辻:たしかに、きわどいところに来ていますね。都市部は、急速に開発が進み、社会問題、公害や犯罪、自殺が増えてきている。新国王は、聡明そうな人なんですが、演説の端々に「ブータンはアジアの I Tセンター、金融センターをめざすことも夢ではない」といった話が出てきたりします。

高木:危険な兆候ですね。GNHの国ブータンがGDPをめざすと、日本と同じ過ちを犯すことになる。

辻:ここ何回かの訪問で、裁判官、法律家、大臣、宗教者、教育者などリーダーたちにインタビューしたのですが、「我々は、他の国が経験した問題や失敗を勉強しているから、経済的な発展と精神的な発展のバランスをうまく作り出していける。ラストランナーの優位性がある」とみな楽観的です。

高木:しかしなあ・・・、同じ道を行けば同じ失敗をすると思う。地雷原を歩けば地雷を踏むことになる。経済的発展をめざすのは、経済優先という意味だから、農業⇒工業、都市の人口集中、過密と過疎、経済格差を招くでしょう。

辻:僕も心配です。ただ、ブータンは、GNHの4つの柱を定めています。(1)自然 (2)伝統文化 (3)経済的発展 (4)よい政治 つまり、自然や伝統文化を守りながら、公正な発展をしなければならないし、一部の人たちだけが豊かになることは経済的発展ではないというのです。そしてよい政治というのが、国王が導入をした民主化。この4つのバランスを取って進んでいこうと、憲法にうたっています。

高木:日本国憲法だって、そううたっていますが、こんな国になってしまいました。その(1)自然 (2)伝統文化 だけなら、いつまでも幸せでいられたのに。


■ 豊かさの撲滅に割り算を

辻:僕は1952年生まれで、経済成長は当たり前の時代に育ちました。でも大人たちを見ていても、ああなりたいとか、あんなふうに生きたいとは思えなかったんです。24、5歳のときに日本を飛び出して海外を回りました。そこで僕が魅力を感じたのは先住民族や少数民族の人たち。文化的な根っこを持っていて幸せそうなんですよ。先進国では、そういった大事なものを手放して、マネーという価値観で、世界中を覆い尽くそうとしているのに。

高木:同感です。私はそれを、マトリックス社会と呼んでいます。全く価値のないマネーゲーム。私たちは様々な活動を通じて、経済成長の果てには幸せがないことを伝えていかなくてはと思います。

辻:僕は、アインシュタインの言葉を講演でよく使うんですが、「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセット(意識や価値観)のままでは、その問題を解決することはできない」というんです。

高木:その通りです。同じマインドでは問題を解決できません。エコ商品に助成金をつけて売ろうとするのも違うし、便利快適を維持しながら、経済も上げながら、問題を解決しようなんて、全く違うんです。

辻:僕は「反貧困」という言葉にも違和感を感じます。問題なのは貧しさではなく、豊かさの方だと思うから。豊かさの幻想から脱することこそが大事だと。

高木:同感です!私がしたいのは、貧困の撲滅ではなく、豊かさの撲滅なんです。

辻:今までの社会は足し算ばかりやってきました。でも今、ぼくたちに必要なのは引き算です。引いてみるときに現れる楽しさや安らぎ、つまり本物の豊かさが、これから始まるんだと楽しみにしています。

高木:現状は、足し算というより掛け算です。だからこれからは、割り算が必要なんじゃないかなあ。

辻:なるほど。分かち合いも割り算ですしね。

高木:そう、それを一緒に伝えていきましょう。これからもよろしくお願いします。