巻頭言

【巻頭言】 自分で考える(MM)

ワークショップとは「体験の場」という意味です。
ここでは、実際のワークショップの一部を一緒に体験してください。

「自然界の生物は、環境破壊もせず、戦争もせず、欲張りもせず、環境と調和して仲良く暮らしているのに、なぜ人間だけ、こんなに地球環境を破壊したり、戦争をしたりするんだろう」というテーマについて考えてみましょう。

★人間は他の生物とどう違うのでしょう
実際に考えてみてください。いろんなことが思い浮かぶでしょう。
脳が大きい。手が器用。体毛がない。考えることができる。言葉が話せる。意思表示ができる。など、いろいろあります。
その中の「これだ!」と思える項目について、さらに考えてみましょう。

★脳が大きい
脳が大きいと、いろいろ考えることができます。工夫する。発明、発見できる。大きな夢(欲望)を持つことができる。あきらめないで、実現方法を発見する。必要なものを作り出す。武器を作る。道具を作る。うそをついたり、自分を正当化したりする。ずるがしこい。など、いろいろあります。
その中で、また「これだ!」と思える項目について、さらに考えてみましょう。

★夢を持つ、夢を実現する
夢を持つことはいいことだと教えられてきたが・・・
夢ってなんだろう。
「いま、ここに無いもの」「いま、実現できないもの」・・・
よく考えてみると、「無いからほしい」というのは、一見当たり前だけど・・・
「無いからほしい」というものの中には、「食べ物」とか「水」のように「生きるためにはなくてはならないもの」「自然界にあるもの」と、「生きるために必要ではないがあれば嬉しいもの、自然界に無いもの」がある。
前者を「必要なもの」または「自然なもの」、後者を「不必要なもの」または「不自然なもの」と呼べないだろうか。

★努力、工夫、発明、発見
これらの言葉はとてもいいイメージです。逆に「努力しない」「工夫がない」「発明、発見がない」という言葉は、とても悪いイメージです。
しかし、イメージってなんだろう。
イメージって、どうやって作られたのだろう。
イメージは、繰り返し、繰り返し、言われたこと、教えられたことによって作り出されたのではないだろうか。
繰り返し教えられることによって、それが正しいと思い込んでしまうこと。
理由もなく、理屈抜きに信じてしまったこと。映像。イメージ。では、また「理屈」ってなんだろう。
「理屈」はイメージが悪い。「理論」はイメージがいい。でも、それも、本当だろうか。

むかし、こんなシーンがありました。
先生が遅刻をした生徒に「遅刻の理由を言いなさい」と言った。生徒は「自転車のチェーンがはずれたから」と答えた。
先生は「屁理屈を言うな」と叱った。意味不明・・・。私はその時、「先生って、勝手なことを言うなあ」と、ばからしく思いました。

「理論」は科学的に物理的に論理的に正しいことで、「理屈」とは「正しいふりをして実際には間違っていること」と言われています。
しかし、「(科学的に、物理的に、理論的に)正しい」と思われていたことで、その後、間違っていたと証明されたことはいくらでもあります。
それさえもまた、あとで間違いが証明されたこともいくらでもあります。

そもそも「正しい」とか、「証明された」とはどういうことだろう。そこには、その時代の権力の存在が見えてきます。その時代を支配する権力にとって「都合がいい」ことが「正しい」とされ、権力が交代すると、以前「都合がいい」ことが「都合が悪い」ことになり、以前「いいこと」が「悪いこと」になります。世界の歴史を見ていると、このことはよくあることです。
「いい悪い」は絶対的なものではなく、「いい悪い」を判断するものさし(基準)に照らして判断するものなのです。「いい悪い」は、判断者にとっての「都合」なのです。その時代を支配する権力にとって「都合のいいこと」を教えるのが教育です。ということは、教育には「洗脳」の要素があるのです。

おっと、あまり書きすぎるとよくありませんね。
教育や洗脳によって固まってしまった価値観(ものさし)を見直してもらいたいのです。

いま、ここでやってみているのは「自分で問い、自分で考える」ことです。
その場合、過去に教えられたとおりに考えるのはなく、自分自身の経験や知恵をもとに考えることなのです。自問自答ではなく、「自分で問い、自分で考える」のです。自分で答えるのではなく、自分で考えるのです。そもそも、答えを探すのではなく、考える力を取り戻すのです。
私たちは、教育(ティーチング)によって「教えられた答え」を覚える、「教えられた答え」を探すクセがついています。
大切なのは、「教えられた答え」を探すことではなく、自分で考えることなのです。それが「コーチング」なのです。
「本当はどうだろう」と問い、自分で考えるのです。それも一つの視点ではなく、多くの視点で考えるのです。視点はたくさんあるのです。

1カメ(自分の視点)、2カメ(相手の視点)、3カメ(第三者の視点)、
4カメ(過去の視点)、5カメ(未来の視点)、6カメ(他の生物の視点)

私は、このやり方を「MM」と呼んでいます。
MMとは、既成観念にとらわれず、「本当はどうなのか」ということをみんなで考えることなのです。
「人間は他の動物とどう違うのか」は、とても大切なテーマです。

★目の前の問題を避けようとする
自然界のあらゆる生物は、目の前の問題や危険を避けようとします。
ところが、人間は、危険を避けるのではなく、危険を克服しようとします。
たとえば、障害があれば、他の生物のように回避せずに、爆破したり、乗り越えようとします。回避せずに解決しようとします。
ここに、人間の過ちを正すヒントがあるのではないだろうか。

★文明とは
改めて文明とは何かと考えてみると、驚くべき事実が見えてきます。
「文明とは、不自然、反自然の社会」
「文明とは、自然に順応するのではなく、自然を支配しようとする社会」
これを発展させれば、必ず自然を破壊し、食糧や水が得られなくなり滅亡してしまいます。事実、過去の巨大文明はすべて滅亡してしまいました。
自然破壊を文明と定義する限り、「文明は必ず滅亡する」と言えるのです。

(後記)
いかがでしたか。MMのこつ、お分かりいただけたでしょうか。
これは、実際に自分の身の回りのことについて考えてみると、驚くほど多くの気付きがあり、解決が見つかります。
ワークショップは、このように、いろんな体験をして、自分として気づきや発見をします。
ワークショップは、ティーチングではなく「コーチング」です。
ワークショップは、時間的には講演会の10倍です。講演会では、なかなか自分は変わらないのですが、ワークショップは変わりたいと思っている方は変わります。「変わりたい」と思っておられる方は、ワークショップにどうぞ。