巻頭言

【巻頭言】幸せのたね「感動とは」

先日、ある勉強会で、「感動体験を話す、感動を伝える」という試みをしました。
参加者の方々が感動した映画や本、感動体験を1人5分くらいで話すのですが、感動が伝わってきません。映画や本のあらすじを説明したり、その中の言葉や会話を再現して、「ここで感動した」と言うのですが、聞き手に伝わらないのです。

一人が話した後、聞いていた人たちが感想を述べたのですが、やはりほとんど感動は伝わっていませんでした。話し手自身の不幸な体験については、「同情の気持ちは大きかったのですが・・・感動は伝わってこなかった」という結果でした。人の失敗を目にしながらも、ほとんどの人はうまくいきませんでした。

私は、(ほんとうは、このような話ではないだろうか。このように話せば感動が伝わるだろうに) と思いながら聞いていました。

最後に私は、「これまで、自分の感動体験を人に伝えた経験はありますか?」「その時、感動は伝わりましたか?」と聞いてみました。
すると何人かは、「感動体験を話そうと思ったことがない」「話しても伝わらないから、話したことがない」とのことでした。なんということでしょう。

さっきまでは、(なんでこんなに感動が伝わらないのだろう)と驚いていましたが、このことには心底驚きました。「感動なき人生は、生きていることにならない」と言われるくらい、感動は大切なことなのに。ましてや、感動を人に話したいと思わなかったとか、感動を伝えたことがないとか、一体どういうことでしょう。そんなことがあるのでしょうか、まさに驚愕でした。

もしかしたら、その人は感動したことがないのかもしれないし、感動を知らないのかもしれません。感動という言葉は誰でも知っているでしょうが、感動の大きさは比べられないから、感動は人によって大きく違うのかもしれません。

そういえば、「最近、涙を流したことがない」という話も耳にしますが、これにも驚きます。私は毎日の講演で涙を流しますし、ワークショップでは何十回も涙を流します。
涙は珍しいものではないし、涙は感動の一つの表れです。
感動は「感じて動く」と書きます。感動は、心が動くこと、心が揺さぶられること、心が開く瞬間の音のようなものだと思います。

あなたは、最近、涙を流していますか。感動していますか。感動を伝えられますか。

私の場合、感動を伝える時は、

1.まず、その場面をはっきりとイメージし、
2.自分がその中の登場人物すべてになりきり、
3.登場人物の目で見、登場人物の口で語り、登場人物の気持ちを伝えます。

感動とは、そのドラマの中に入り、ドラマの中の登場人物になりきって、語り伝えることなのです。