巻頭言

【巻頭言】 戦後65年 いま願うこと

終戦から65年。すでに戦後生まれが人口の8割を占めています。
8月に、広島県福山市で「平和のワークショップ」を行ったこともあり、今回は「戦後65年」と「これから」について書かせていただきます。

★江田島の教育参考館
ワークショップの前日広島入りして、旧海軍兵学校のあった江田島に行きました。現在は、海上自衛隊幹部候補生学校や訓練所になり、その一角には特攻隊員の遺書や遺品などを展示する教育参考館がありました。
「父上、母上、弟よ、妹よ」という書き出しで始まる遺書・・・。

「ゆうべ、出撃命令を受けました。まもなく出撃です。
私の人生は幸せでした。まるで夢のような日々でした。
ここまで育てていただいた御恩、決して忘れません。
もう一度、父上、母上に会いたいと思うことも、今となってはかなわぬ贅沢。
十分な親孝行ができなかったことが心残りですが、お国のために精一杯のことをします。
この手紙が届くのはお盆の頃でしょう。私の初盆です。
弟よ、妹よ、父上、母上をよろしく。兄は大空より見守っているから。
では、行ってまいります。さようなら」

どの遺書も、万感の思いが驚くような達筆で書かれていました。
20歳前後の若者が、ここで学び、ここから特攻隊として出撃していったのです。
いまは海上自衛隊幹部候補生が出発していく浮桟橋に立ち、まぶしく輝く海を眺めました。
まぶしい太陽の下にそびえるいかめしい建造物、戦艦主砲が悲しい・・・。
その16インチ砲(直径40センチ)は射程38キロメートル・・・。
「玉砕の島」で検索するとツラギ、アッツ、サイパン、グアム、テニアン、硫黄島などの名前が出てきます。それらの島は、このクラスの艦砲射撃でハチの巣にされ、1平方メートル当たり何発もの砲弾を浴びたのです。
硫黄島は日本軍2万人に対して、米軍は艦船800隻、航空機4000機、総員25万人。島の形が変わるほどの熾烈な艦砲射撃と空爆を受け、全員玉砕しました。

★広島平和記念資料館
ここには何度も訪れていますが、毎回大きな発見や感動、気付きや決意があります。
今回は、中学生の黒こげ死体が抱いていた弁当箱の展示に心打たれました。
食べられないまま黒こげになったご飯・・・。それを発見して涙した母親の手記・・・。
母親が育てた根菜で作った煮物と大豆ご飯のお弁当を、少年は守るように胸に抱いて死んでいた。どんなにかお昼が待ちどおしかったことだろう・・・。
せめて、最後の食事を食べさせてあげたかったと涙した母親・・・。
写真を撮りながら、私も涙があふれました。

★平和ワークショップ
このテーマでのワークショップは初めて。どのテーマであれ、ワークショップの目的は、「虹の天使」を育成することだから本質は同じですが、この時期に広島での開催とあって、参加者(定員30名いっぱい)の思いは熱かったです。
主たる内容は、

1.原爆の被災者の方(語り部)を招き、当時のお話を伺いました
2.ガンジー師、キング牧師の非暴力、非服従について話しました
3.ディープエコロジーのエクササイズ(体験)
4.活動報告(核拡散防止条約、平和市長会議など)
5.「虹の天使」の学びと決意

参加者の多くは、「世界の平和の前に家庭の平和を、家庭の平和の前に自分の心の平和を。平和は自分の心から始まる」というガンジー師の教えを再確認し、まず自分が変わることを決意しました。

★日本の戦争の歴史
ワークショップの中の一コマを紹介します。
明治維新以降の日本の戦争の歴史をごらんください。どう感じますか。

1868年 明治維新、富国強兵、経済拡大
1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1910年 朝鮮併合
1931年 満州事変
1932年 上海事変、満州国建国宣言
1933年 国際連盟脱退
1937年 日華事変(日中戦争)
1941年 太平洋戦争
1945年 敗戦

何を感じられたでしょうか。次に、戦後の歴史をごらんください。

1950年 朝鮮戦争、警察予備隊設置
1954年 自衛隊設立
1960年 日米安保条約締結
1965年 ベトナム戦争介入
1991年 自衛隊海外派遣(湾岸戦争)
2001年 9.11事件 米国を支援
2003年 自衛隊イラク派遣
2006年 防衛庁が防衛省に格上げ
現在    憲法改正、非核三原則見直しへ
どう思われましたか。このままで、いいのでしょうか。

★なぜ平和が実現しないのか
あなたは、平和を望みますか、戦争を望みますか。
世界には、平和を望む人と戦争を望む人、どちらがどれくらい多いでしょう。
おそらく、平和を望む人の方が100倍以上多いでしょう。
では、99.9%以上の人が平和を望んでいるのに、なぜ平和が実現しないのでしょう。それは、戦争を望む人の努力の方が大きいからでしょう。
平和を望む人より、戦争を望む人の方が、本気で努力をしているからです。
スパイを使い、テロリストをも利用し、大きなお金を動かし、政治を動かし、世界中で24時間体制で努力しているからです。
それに対して、平和を望んでいる人たちはどれほどの努力をしているでしょう。たとえば、あなたは平和のために、この1年間どれほどの努力をしたでのしょう。どれだけの時間とお金をかけましたか。
世界では、戦争のために毎年150兆円ものお金が使われていますが、平和へのお金は10兆円にも満たないのです。それでは勝負になりません。

★どうすればいいのか(提言)
こういう時代、中途半端な軍備を持っている方がかえって危険です。
むしろ、軍備としては不十分な予算を平和に使うと大きな効果があります。
近隣諸国に対して軍備に4兆円をかけるよりも、近隣諸国の和平に4兆円を使う方が平和に対して大きな効果があります。
平和憲法に基づいて本気で、平和に向けて大きく方向転換をする時期に来ていると思います。世界にはすでに非武装の国が27カ国あります。
日本もそれを本気で考える時期に来ていると思います。

◆実現へのステップ
1.日本は、軍備を持たない非武装、平和国家を宣言する。
2.自衛隊を段階的に災害救助隊に変更する。
3.日米安全保障条約(軍事同盟)を段階的に解消し、日米平和条約を締結する。
4.現状の軍事予算を世界平和に使う。
※現状の軍事費4兆円、災害救助隊費用1兆円以下 ⇒ 差額3兆円以上

以上について、
1.まず、サミット(先進8カ国会議)で説明し了解を得る。
2.隣国にも説明し、了承を得る。
3.国連で上記の説明をし、了承を得る。
4.国連の主要部署に、平和大使として代表を送る。
5.紛争国の和平交渉に随行し、実績を上げて行く。
日本だけではなく、非武装国27カ国、中立宣言国スイスが和平交渉にあたる和平国家グループを形成し、国連の安全保障理事会に大きな発言力を持つようにする。
これ
には、和平交渉などの実績を重ねることが必要です。

★みなさまにお願い「平和市長会議」
・1982年6月、第2回国連軍縮特別総会で広島市長が、核兵器廃絶へ向けて国境を超えた都市の連帯を呼びかけ、平和市長会議が生まれました。
・現在、核廃絶の趣旨に賛同する世界の144カ国4069都市が参加。
日本は785市区町村が参加(全体1750市区町村の44.9%)。
・今年のNPT(核拡散防止条約)会議には、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に世界1500都市の賛同署名を提出。「都市を攻撃目標にするなプロジェクト」への100万人以上の市民署名を提出するなど、活動を行っています。
・平和市長会議は、核のない未来賞(2007年)、マクブライド平和賞(2006年)、世界平和市民賞(2004年)を受賞しました。

◆この平和市長会議に現在、日本の全市町村の44.9%が参加していますが、100%の参加をめざして、あなたの近隣の市町村に参加を呼び掛けてみませんか。
町の無差別攻撃や、核攻撃に対して市町村として反対の意志表示をするこの活動は、とても具体的で大切な活動だと思います。すでに約半数の市町村が参加しています。
ぜひ、あなたの町でも、近隣の町でも、これに賛同、参加してもらいたいと思います。
あなたも自治体に呼びかけてください。

「平和市長会議」
詳細 ⇒ http://www.mayorsforpeace.org/jp/index.html

★最後に
この戦争で、日本の犠牲は兵士230万人、民間人80万人とされています。
それだけの犠牲を払って守ったものは何だったのでしょうか。彼らが、現状の日本を見ればどんな気持ちになるでしょう、嘆き、悲しんでいるのではないでしょうか。
特攻隊員の方の遺書を読んでみてください。

【特攻隊員の遺書】

 父母上様、長い間お世話になりました。
 今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。
 数々の思い出は胸中をかけめぐります。
 故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思い出ばかりです。
 もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。
 甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。
 いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。
 お願いします。御身大切にごきげんよう。

  特別攻撃隊 ○○○○ 18才
  昭和19年○月○日  レイテ沖にて特攻戦死