スペシャル対談

2010年10月号 奈良県生駒市議会議員 有村京子さん

生駒市議の有村さんは、かつてネットワーク『地球村』事務局で非常勤スタッフとして5年間働き、奈良・生駒「地球村」を立ち上げて高木代表の講演会を主催するなど、地域の環境市民活動に尽力してきました。平成15年に初当選し、現在2期目。『地球村』の仲間、環境市民派の市議として活躍中です。


■ 人生の転機の5年

高木:有村さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします。まずは出会いから話しましょうか。

有村:14年前42歳のとき、船井幸雄さんの著書で『地球村』と高木さんのことを初めて知りました。講演会に行って、『地球村宣言』を読んで、大変なショックを受けました。「これは何かしなくては!」という思いに駆り立てられて、旧地球村事務局を訪ね、そのまま、非常勤スタッフとして働かせてもらうことになりました。

高木:講演会で一番ショックを受けたのはどういったところですか。環境の現状に ? 生き方に ?

有村:高木さん自身の生き方です。なんという潔い生き方だろうと思いました。崇高なる自己犠牲。世の中にはこういう人もいるんだと思って、大ショック。スタッフを5年間させてもらいましたが、その5年間は、私にとって人生の大転換期でした。
   
何しろ事務局にいると、高木さんのお話を何度も何度も聴く機会があるんです。毎週あるミーティングは、欠かさず参加していましたし、講演会のお手伝いにも行きました。そばにいるので直にお話を伺ったり、質問することもできたり、毎日が驚きと勉強の繰り返しでした。

高木:5年間毎週というと250回。講演会を合わせると300回以上、私の話を聴いているんじゃないかな。

有村:それくらいになりますね。それだけ聴かなければ根本的に変われなかったと思います。

高木:かなり影響を受けましたか。

有村:それはもう、価値観、行動、感性、全てにおいて影響を受けました。


■ 議会に入るしかない !

高木:うれしいなあ。それからどうしましたか。

有村:あちこちで講演会のお手伝いをするうちに、自分でも地元の奈良でやってみたくなり、2回ほど講演会の主催をしました。そのときたくさんの仲間ができて、当時は全国に地域『地球村』がありましたから、平成10年に奈良・生駒『地球村』を立ち上げました。

そこから本格的に地域活動を始めたんです。高木さんの講演会を6回くらい主催して、他にはガイアシンフォニーの上映会をしたり、紫外線対策や給食器改善を提言したり、選挙の度に環境に関する公開質問状を出したり、議会の傍聴をしたり、高山第二工区や焼却場などの現地見学会をしたり、堰を切ったように市民活動を始めました。

高木:なるほど。市会議員へ転進のきっかけは ?

有村:そこなんですよ ! 環境のことをやろうと思ったら、政治の力がどれだけ大きく関わっているか、ヒシヒシと思い知らされたんです。でも、議員を通して環境政策をお願いして議会を傍聴に行っても、「私ならこう言うのに」「そこはこう言ってくれたらいいのに」と感じることが多くて…。

高木:靴をへだてて足を掻くような ?

有村:そうなんです。直接自分で言いたい気持ちもあり、もどかしくて・・・。それから、紫外線対策や給食器の啓発活動で市内の小中学校を回っていたとき、邪険な扱いもされるわけですよ。一緒に行ったスタッフは「何や !」 って怒ったんですけれど、私は怒りを通り越して悲しくなってしまい、家に帰って泣いたんです。

どうしてあんなに泣いたのかっていうくらい・・・。そうしたら娘が「ただの主婦がそんなことをしても馬鹿にされるだけや」と言うんです。それを聞いて妙に納得してしまったんです。「そうか、ただの主婦じゃこういう扱いも受けるよな」と。それで、議員になって議会に入るしか打開策はない ! と考えるようになりました。

高木:それで覚悟を決めて立候補したんだね。

有村:はい。平成15年、49歳のときに選挙に出て初当選。それも、高木さんの生き様を見ていたからですよ。自分を捨てて理念に生きるところに、心から感動して尊敬していました。やっぱりお手本があって、その人が常に前を走っているというのは大きいですよ。私にとって、高木さんの存在は、諦めない力でした。


■ 棚田の風に吹かれて活動中

高木:議員生活はどうでしたか。

有村:私にとってラッキーだったのは、市議選に出る前に、現市長の山下真さんとの出会いがあったんです。市議選の1年前に、高山の大規模宅地開発反対運動で、当時33歳、新進気鋭の若手弁護士の山下さんに出会いました。「私には市長になる力はないけど、市長は変えたい」と思っていたところに、山下さんが現れて「この人や~ ! 」って思ったんです。私が議員に当選して3年目に市長選があって、そのとき山下さんが立候補してくれて、ダブルスコアで勝ちました。

高木:それはすごい !

有村:誰も予想していませんでした。そこからの山下市政は目覚しいものがありました。入札改革をして談合体質を一掃しましたし、議員の口利きも廃止。大型公共事業も500億円くらい予定されていたんですが、全部見直したんです。

高木:それは議会との軋轢が大変だったでしょう。

有村:そうです。予算も通らないし、副市長人事も否決されるし、最初の1年間は本当に大変でした。山下市長はよく耐えて、できる限りのことをやっていきました。1年後に市議選があって、山下市長を支える議員が数名増えて、2年目からは少しずつやりやすくなっていきました。

高木:あなたの議員としての活躍も教えて。

有村:1期目、前市長のときは、何を提案しても、何一つ通りませんでした。バッシングも受けましたが、「みどりの手紙」という通信を作って、何に取り組み、何を質問しているかを市民に報告していきました。

高木:バッシングにも負けなかったんだね。

有村:そこは、事務局時代に高木さんにビシバシ鍛えられましたから(笑)。

高木:それはよかった。2期目はどうですか ?

有村:2期目は、山下市長になったこともあり、どの議員が提案したものでも良ければ公平に、政策に取り入られるようになりました。私の提案した「校庭の芝生化」「大規模学童保育所の分割」「手話通訳料の無料化」「三人乗り自転車のレンタル事業」なども採用され実現しています。

高木:最後にこれからの夢や豊富を教えてください。

有村:先進的な取り組みをする山下市長を信頼して、これからも支えていきます。そして今、「いこま棚田クラブ」という活動にかかわっていて、ボランティア会員を募集しています。一緒に棚田の再生、里山整備をやってみたい方は、ぜひご連絡ください。


■ いこま棚田クラブ

ボランティア会員募集中!! (会員無料)
〒630-0212
奈良県生駒市辻町869-62  有村京子内 
Tel&Fax : 0743-73-6211
メール   : arimura@kcn.ne.jp
HP     : http://www.k2.dion.ne.jp/~ikoma/