巻頭言

【巻頭言】『地球村』の原点、バトンタッチ

今年は『地球村』設立20周年です。

 

20年前、私がいま原稿を書いているこの書斎に有志15名が集まり、私が書き上げたばかりの『地球村』の設立趣意書をみんなで読んでMMをしました。MMは、当時すでに私たちの活動の基本であり特長でした。


『地球村』を設立したのは20年前ですが、私の中では『地球村』は30年前の交通事故の入院中にスタートしていたのです。

 

20周年の今年のスローガンは「原点に戻る」「バトンタッチ」です。
まずは、『地球村』の原点について書きます。

30年前の入院中、私は、長い間考えないようにしていた疑問(命題)


「自分とは何か、どこから来て、どこに行くのか」について再び考え始めました。長い間どうしても答えが見つからず、悶々としていたのです。

 

まず、「自分は何のために生まれてきたのだろう」と考えました。

毎日毎日考え続けて、やっと納得できる答えを見つけました。

第一は「生きるために」

これは、あらゆる生物の基本的な目的だと気付いたのです。

第二は「幸せになるために」

これは、生存が確保され余裕ができれば求めるもの、特に自我をもつ人間には当然の目的だと気付いたのです。

 

次に、「幸せとはなんだろう」と考えました。

はじめは、「幸せは人さまざま」「出世? お金? 成功? ぜいたく?」など堂々巡りをしましたが、最後にやっと、「みんなが幸せでないと真の幸せではない。みんなの幸せこそ本当の幸せ」ということに気付きました。

 

次に、「みんな幸せになれないのは、なぜだろう」と考えるようになりました。

誰かが幸せになると誰かが不幸になる?

それはおかしい。それは本当の幸せではない。

幸せには、「誰かが幸せになることで周りが幸せになるもの」と、「誰かが幸せになると誰かが不幸になるもの」とがあることに気付きました。

つまり、「本当の幸せ」と「幸せのようなもの」があるのです。

「幸せのようなもの」とは「人より出世、人より金持ち」のように、比較によって成り立つもの、比較によって満足するもの。

これは衝撃的な気付きでした。

「学歴、出世、お金、贅沢、ブランド、順位、肩書き、役職、…etc.」

これらはすべて、比較によって成り立つもの。

これら「幸せのようなもの」は追っても追ってもきりがない。

無間地獄のようなもの。私はそれを「モア・アンド・モア」と呼びました。

 

本当の幸せは、そんなものではない。

真の幸せは、もっとかんたん、もっとシンプル。

① あるがままの自分を認めること
② あるがままの現実(事実)を受け止めること
③ その上で、幸せの種まきをすること

このことで、誰でも幸せになれるのです。

このことに気付けば、「幸せの種まき」をすればいい。そうすれば幸せになれるのです。
一人でやるより仲間を増やし、幸せの輪を広げる方がより幸せ。

 

そこで考えたのが、

① 幸せな生き方を多くの人に知らせる
② 仲間を増やし、幸せの輪を広げる
③ みんなが幸せな世界をめざす

これが『地球村』の原点なのです。

 

★私は環境活動家ではありません

私は、環境評論家、環境オタクでもありません。

私が伝えたいのは、環境問題ではないのです。

現状の社会の問題を通して、生き方を伝えたいのです。

環境問題は、その一つです。

私は社会を変えたいのです。みんなが幸せな社会を実現したいのです。

現状の社会の仕組みが、飢餓貧困、戦争、環境破壊を生みだしているのです。

現状の社会の仕組みを変えない限り、戦争反対、原発反対、二酸化炭素削減と言っても、「モグラたたき」のように問題は次々発生し、永遠に解決できないのです。

ドイツやデンマークなどは、「○○反対!」で成功したのではないのです。

グリーンコンシューマが増えて、価値観やライフスタイルが変わったことで、社会が変わっていったのです。

私の願いは、社会を変えるために、

① 事実を知らせ、グリーンコンシューマを増やすこと
② グリーンコンシューマを増やす「虹の天使」を増やすこと

グリーンコンシューマを増やすのが講演会。

「虹の天使」を増やすのがワークショップなのです。

あなたにバトンタッチします。どうぞバトンを受け取ってください。