脱原発への道

被災、出会い、そしてボランティア

私は宮城県石巻市で被災しました。石巻市は場所によってはとてもひどい状態で、家族と連絡が取れない人も多数いらっしゃいました。私は、たまたまラジオで家族の無事を確認出来ました。津波による冠水で保育園に通う子どものところへもなかなか近づけませんでした。

避難所の小学校から、すぐ側に長男が避難している保育園がありました。もうすぐそこなのに、目の前なのに、なかなか水が引かなくて、息子の元へ行けなかったのです。

息子に会うまでは、夜はなかなか眠れませんでした。

お腹空いてないかなぁ。
喉乾いてないかなぁ。
ちゃんと眠れたかなぁ。

そんな事ばかり考えていました。

そして、数日ぶりに家族との再開。息子にも会えた。妻や次男、両親にも会えた。
自宅や事務所も片付ければ問題ない。石巻市の被害は底知れないが、私はほとんど被害がなかった人間の一人だったのだと思います。

私はここで、できる限りのことをしたい。そう思い、石巻赤十字病院でボランティア活動を始めました。

最初にこの病院に来た理由は、兄の安否確認のためでした。兄は医師としてここの病院に勤務しています。無事で、災害の医療に当たっていました。その病院で見たのは、懸命に救助活動に従事する医師や看護師、その他の職員の姿。そして目にしたのはボランティア募集の張り紙。僕にもできることがたくさんある!すぐに応募し、ボランティアとしてお手伝いを始めました。

ある日、病院にいる人を避難所に送るための介助をしました。車椅子が必要でまともに歩けない方が多数いらっしゃるので、その方のバスの乗り降りを手伝いました。介助の経験が無い私にとってはかなり難しい仕事でした。それまでしてきた仕事の経験は何の役にも立ちませんでした。無駄な経済活動に関わっていたんだなあと思い知らされました。

病院でお手伝いをしていると、たくさんの人に出会います。様々な現実を見せつけられます。精神的にかなりまいっていると思われる方も見かけました。いろいろな人の現実に触れて、涙が出そうになることもしばしばあります。

一方、各地の赤十字が応援に来ていることに驚きました。その中に熊本県の赤十字もありました。
和歌山ナンバーや新潟ナンバーの救急車もありました。遠い所から来て下さっていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

どうぞ、悔しさや憎しみを愛に変えてください。優しさや愛情を持って、新しい時代のことを考えていきましょう。愛を持ってしていくだけなんです。それが生かされた者の使命だからと思います。(舛 洋介)