脱原発への道

福島第一原発 震災直後からの経緯

福島第一原発の震災直後の記録は、東京電力が公表した解析結果により明らかになりました。核燃料が損傷して圧力容器の底に崩れ落ちるメルトダウンの経過が見えてきました。一方でまだ明らかになっていない点もあります。地震発生後に福島第一原発に何が起きていたのかをまとめました。(朝日新聞ほか)

 

【1号機】
・3月11日14時46分の地震直後、原子炉は緊急停止し、非常用の緊急炉心冷却システムが動き出した。
・津波により非常用ディーゼル発電機が停止し、外部電源が喪失したことで、原子炉の冷却ができなくなり、水位が低下していった。
・燃料棒の露出が始まり、その後、全長4mの燃料棒が完全に露出
・3月12日6時頃には炉心溶融(メルトダウン)が起きて燃料棒全体が崩れ落ち、圧力容器の底に穴が開き、格納容器も損傷した。
・同15時36分、原子炉建屋が水素爆発

 ⇒地震があった次の日にメルトダウン

 

【2号機】
・1号機と同様に、地震直後、原子炉は緊急停止し、非常用の緊急炉心冷却システムが動き出した。
・津波により非常用ディーゼル発電機が停止し、外部電源が喪失した
・非常用バッテリーで一時的に緊急炉心冷却システムを動かしていたが、結局は原子炉を冷却できなくなり、水位が低下していった。
・燃料棒の露出が始まり、その後、全長4mの燃料棒が完全に露出
・3月15日6時頃、圧力抑制室で水素爆発が発生
・同20時頃、メルトダウンが起きて燃料棒全体が崩れ落ち、圧力容器の底に穴が開いた

 ⇒結局は冷却できなくなって、1号機と同様にメルトダウン

 

【3号機】
・1、2号機と同様に、地震直後、原子炉は緊急停止し、非常用の緊急炉心冷却システムが動き出した。
・津波により非常用ディーゼル発電機が停止し、外部電源が喪失した
・非常用バッテリーで一時的に緊急炉心冷却システムを動かしていたが、結局は原子炉を冷却できなくなり、水位が低下していった。
・燃料棒の露出が始まり、その後、全長4mの燃料棒が完全に露出
・3月14日3時頃、メルトダウンが起きて燃料棒全体が崩れ落ち、圧力容器の底に穴が開いた。
・同11時頃、原子炉建屋が水素爆発

 ⇒結局は冷却できなくなって、1、2号機と同様にメルトダウン

 

【4号機】
・昨年11月30日に定期点検のため停止
・地震発生時、燃料棒は原子炉内にはなく、すべて使用済核燃料プールに移していた
・使用済核燃料プールの水温は、普段の30℃より高い84℃だったが放置していた
・3月15日6時頃、水素爆発と見られる爆発が起きて火災が発生
・今は外部電源が復旧しているが、プール内の燃料は一部溶融しており、再臨界がしばしば起きている可能性がある。
・原子炉建屋は大きく損傷しているため、プール内の燃料は外気にさらされており、外部電源が途絶すれば、1~3号機よりも多くの放射性物質が飛散する危険性が高い。

 ⇒運転停止中でも危険性は1~3号機と変わらない

 

【5号機】
・今年1月3日に定期点検のため停止
・地震発生時、燃料棒は原子炉内にあり、原子炉内で冷却中だった
・使用済核燃料プールにも燃料棒があった
・津波により外部電源が喪失したが、唯一無事だった6号機の非常用ディーゼル発電機を使って、5、6号機で切り替えながら最悪の状況を回避していた。
・原子炉とプールの燃料棒を12時間ごとに交互に冷やしていた
・3月21日、外部電源が復旧

 ⇒外部電源がなくなれば1~4号機と同じような事故が起きる可能性がある

 

【6号機】
・昨年8月16日に定期点検のため停止
・5号機と同様に、地震発生時、燃料棒は原子炉内にあり、原子炉内で冷却中だった
・使用済核燃料プールにも燃料棒があった
・津波により外部電源が喪失したが、唯一無事だった6号機の非常用ディーゼル発電機を使って、5、6号機で切り替えながら最悪の状況を回避していた。
・原子炉とプールの燃料棒を12時間ごとに交互に冷やしていた
・3月22日、外部電源が復旧

 ⇒外部電源がなくなれば1~4号機と同じような事故が起きる可能性がある