スペシャル対談

2011年9月号2 ボランティア山形副代表 丸山弘志さん ボラよね新聞編集長 伊藤範さ

3・11の震災で山形県米沢市に避難した方々に、笑顔がたくさん掲載された「ボラよね新聞」が配られ、勇気と希望を届けています。

新聞の発行は、ライターでカメラマンで舞台役者でと、たくさんの顔を持つ伊藤さん(写真右)と、阪神大震災の恩返しにと、山形入りした丸山さんが担当しています。

『地球村』の震災復興支援金から「ボラよね新聞」に支援が行われたこともあり、米沢市で鼎談(ていだん、3人で話すこと)が行われました。

 

阪神大震災の恩返しを

 

高木 丸山さん、久しぶりだね。伊藤さんははじめまして。よろしくお願いします。丸山さんとは、長~いお付き合いだけど、出会いはいつごろだっけ。

丸山 93年です。まだ数人で高木さんの講演が聴けた贅沢な時代でした。知人から紹介を受けて、神戸で初めて高木さんの講演を聴きました。

テーマはオゾン層でしたが、「これは凄い話だ。凄い人だ」と衝撃を受けて、講演が終わってからお話をさせていただきました。それが出会いです。

高木 18年もたったんだね。ところで、なぜ山形でボランティアのリーダーを?

丸山 実は阪神大震災の時、山形から生活クラブの当時専務理事だった、井上肇さんが神戸にボランティアに駆けつけてくださったんです。

10人くらいでバンに乗って来られ、2年間に渡ってさまざまなご支援をいただきました。

その時、井上さんはボランティアたちに「助けてやるんだと思うな。そういう驕りは必ず態度に出る。我々は被災地から学ぶんだ。神戸から学ばせてもらう気持ちであたれ」と、伝えたと聞きました。

その井上さんから、3月11日の震災の後、「福島から避難者が米沢に来ているので、手伝ってくれないか」と連絡が来たんです。

米沢市営体育館が避難所になっていたのですが、そこのコーディネートをする人材が必要だということで、阪神大震災で被災した経験を持つ私に声がかかったというわけです。

私としては、阪神大震災のご恩返しの意味もあって、山形に馳せ参じました。

高木 なるほど。そういう事情でしたか。頼む方も、受ける方も、その判断、すごいね!いつから?

丸山 3月16日です。

高木 すごい!本当に、すぐに駆けつけたんだね!

 

避難する全ての人に届けたい

 

高木 それでは、「ボラよね新聞」について話してくれますか。

どんな経緯で始まったのですか。これは、伊藤さんに伺ったほうがいいかな。

伊藤 生活クラブやまがた常務理事の松本由美子さんが「避難者への情報が行き届かないと不安になるのではないか、紙ベースで情報を定期的に届けられないか」と「避難者への新聞」の企画が持ち上がりました。

この相談を持ち込まれた米沢日報の成澤社長が私を推薦してくれたのでした。

当初、体育館には600人の入所者がおられましたので、2人で1部見てもらう計算で300部刷りました。週2回のペースで発行を始めて、現在25号まで来ています。

高木 避難所で配っているわけですか。

伊藤 最初は避難所で配っていましたが、避難者のみなさんが、だんだん市営住宅や雇用促進住宅、旅館などに分かれて暮らせるようになっていきましたので、新聞を支援センターに設置したり、配布の体制を作ったりしています。

高木 部数はだんだん減っていったわけですか。

伊藤 いいえ。現在は1500部です。米沢市には2500人の避難者がいらっしゃるというので、できればその全ての人たちに届けたいという思いで作っています。

避難者の「今」や「心」を伝えると共に、避難していない人にもアピールできる内容にしたいと考えて編集しています。東北6県にも発信していますし、これからサイトの方も充実させて、社会的なアピールもしていきたいと考えています。

高木 私は「ボラよね新聞」のことは、NHKのテレビで知りました。

「これはいい!支援しよう!」と思って、すぐに連絡を取りました。

丸山 NHKの番組は、東北だけの放映と聞いていたので、いつの間にか全国版で流れ、高木さんのお目に止まっていたことにびっくりしました。

突然、高木さんからお電話をいただき、即決で支援をいただきました。とてもありがたく思っています。

 

被災地から新たな社会を

 

高木 今後の予定について教えてもらえますか。

伊藤 福島県は合唱王国ということで、音楽が盛んだそうです。そこで、避難者と地元のメンバーで「置賜(おいたま)オールスターズ」という合唱団の結成を考えています。

地元に、ラーメン屋の親父にしてダンサー・シンガー・プロデューサーの加藤さんという方がおられるので、オリジナル曲を作って、紅白を目指そうかなんて話もしています。

それは冗談にしても、9月の「上杉まつり」での初披露を目指してがんばります。「社会を変えていこう」という思いを、音楽で伝えられたらすばらしいのではないかと思います。

高木 実は、私は長く合唱や合唱指揮をしてきたから、機会があれば合唱指導させてもらおうかな(笑)。

丸山さんは、まだしばらくはこちらで?

丸山 はい。被災された方の自立を支援する組織、「日本復興支援機構」といったものを立ち上げようとしているところなんです。

人は、やっぱり誰かの役に立って、生きがいを感じて、それで幸せになれるものだと思います。

一日中やることもなく話す相手もない、そんな生活ではおかしくなってしまいます。

復興のために必要な仕事、瓦礫の撤去や地域の再生などを、コーディネートしていけたらと考えています。

福島県の場合は、これまでにない形の被害を受けています。放射能からどのようにして立ち直ればいいのか、何ができるのか、私にもわからないのですが、もう少し行く末を見届けないと帰るわけにいきません。

神戸のご恩を返すと同時に、この東北から、新しい社会を作っていきたいという気持ちで、関わらせていただくつもりです。

高木 素晴らしい決意だね。長~いお付き合いの丸山さんの決意だから応援したい。なにかあったら、遠慮なく相談してください。

■ボラよね新聞WEB版