巻頭言

【巻頭言】ブータンツアー(2)

★ブータンの地理と歴史

ブータンはインドと中国に挟まれ、政治的に難しい位置にあります。

その地域では、ラダック、カシミール、シッキム、チベットは併合されたり分割されて、インド領、中国領、パキスタン領になっている中で、ブータンとネパールだけが独立国(王国)を維持しています。

そのために、以前は鎖国的な政策を取っていたが、いまは開国しています。

とはいえ、空港はブータン航空しか離着陸できないし、入国には一日200ドル課金されます。初めてこのことを聞いた時には「高いなあ」と思いましたが、その課金は「食事、宿泊、交通、ガイド、通訳の費用一切を含む」ということなので、リーズナブルだと思います。

 

ブータンの面積は九州くらい、人口は70万人。

ヒマラヤのすそ野に位置し、高低差は7000メートル。日本でいうと沖縄辺り(北緯26度)に位置していて暑いはずですが、私たちが訪問したパロとティンプーは標高2300メートル以上で、日中でも大阪より涼しく(約25℃)、朝晩はやや寒い(約15℃)くらいでした。

3000メートル以上の峠を越えた時はかなり寒く、たぶん15℃くらい。

気圧も低く、酸素も少ないので、階段を上ると息が苦しかったです。天気に恵まれましたが、毎日1時間ほど強い雨(スコール)が降りました。

★ブータンの自然

大部分が山で、ところどころに段々畑があり、素晴らしい田園風景でした。

地理的には日本とは離れていますが、家の建て方、田園風景などは日本の江戸時代のようでした。木々や植物や花も、日本と似ていました。その風景の中で、あちこちに牛、馬、ヤギを見かけました。

★町の様子

首都ティンプーは人口10万人。自動車はいっぱい。人もいっぱい。

でも、交通信号はまったくありません。メインストリートの交差点の中央に1か所だけ交番があり、警官が手で交通整理していました。

その車道の真ん中で犬が昼寝しているというびっくりシーン。とにかく、犬が多い。それもほとんどは、昼間から寝ています。

お店も東南アジアの都会のように、「なんでもあり」という感じ。

道に露店を広げ、野菜や果物を売っているシーンも多かったです。

人々は笑顔で、うなづいたり、あいさつしたり、手を振ったり。

町の広さは歩いて1時間くらいの小ささ。ほとんどの人々は、ブータンの伝統的な民族衣装(男性はゴ、女性はキラ)を着ていました。

★ブータンは1950年代の日本

ブータンのGDP(国)は1000億円、日本の5000分の1。

ブータンのGDP(1人)は日本の27分の1。

これは、日本の1950年代と同じくらいです。

その頃、私も田舎(愛媛県の横河原)に住んでいましたので、
たまに連れて行ってもらう松山市は、いまのブータンの首都ティンプーのようでした。

車が走り、市電が走り、お店がたくさんあって、目を見張っていました。

デパートの食堂で食べるのは夢のようでした。

ブータンは主要な町以外は、ほとんど山村ですから、当時の日本の田舎(山村)とよく似ています。

段々畑(棚田)があり、家畜を飼い、近所との助け合いがないと成り立たない生活です。

★民泊の体験は最高だった

今回のツアーで最も感動したのは農家に民泊させてもらったこと。

それこそ、テレビの「ウルルン滞在記」と同じでした。

本当のブータンの人の優しさ、心遣いに触れて、たまらなかったです。

お料理は、ふだんは主食(お米)ばかりをたくさん食べて、おかずは唐辛子を主とした一品だそうですが、私たちには心づくしのご馳走をしてくれました。

夜は近所の人たちがやってきて、飲めや歌え(踊りも)の大騒ぎ!翌朝は、うちの人は4時から起きて、子供はお手伝い。

6時には子供は小学校に出かけます。

なんと歩いて2時間!ご主人は川に魚を取りに出かけ、30センチくらいのマスを10匹も持って帰って、「精一杯のご馳走です」と胸を張って言ってくれた時、私は泣きそうになりました。

「ああ、古い日本がここにある!」と感動しました!

お別れする時は、女性は涙、涙・・・男性もじ~んとしました!

今回、この体験だけで、もう十分満足でした!

★名ガイド、ジュルミさんの素顔

ガイドのジュルミさんはガイドぶりも心づかいも素晴らしかったのですが、自分の食事を犬に与えたり、わざわざ肉屋で肉を買って犬に与えたり、民泊の朝、牛の世話をしたり、さりげない言動に彼の温かな心が表れていました。

彼の呟つぶやきが心に残っています。

「都会にはブータンはありません。ブータンは田舎にしかないです。私も早く田舎に帰って農業をしたいです。牛の世話をしたいです」