スペシャル対談

2012年2月号 構成作家/音楽プロデューサー 谷崎テトラさん

「素敵な宇宙船地球号」などテレビやラジオの構成作家、音楽プロデューサーとして活躍されている谷崎テトラさんは、「社団法人ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン」を立ち上げています。

そこは、ワールドシフトを宣言し、行動する仲間がつながり、アイデアを共有するプラットホームとしての役割を担っています。高木さんとは、不思議な縁(えにし)があることも判明した対談でした。

 

アマゾンでパチャママの声に出会う

 

高木 お久しぶり。ラジオの取材以来でしたね。読者のみなさんに簡単に自己紹介をしていただけますか。

谷崎 僕は構成作家をしています。番組を企画して、ゲストをコーディネートして、台本を書くという仕事です。高木さんとは、8月の平和月間「ピースメッセージ」を流す企画でお会いしました。実は、取材は建前で、高木さんと直接お会いしてお話ししてみたかったというのが本音でした。

高木 そうでしたか。ところで、放送作家になったはどういうきっかけでしたか。

谷崎 80年代後半、三菱電機が若者のトレンドをマーケティングしたいということで、学生たちが集められたんです。

当時、僕はぶらぶらしている学生で、会議で若い世代の価値観を分析して提案しているうちに、テレビ番組の企画会議に呼ばれるようになりました。

TBSの深夜に、「アニマムンディ」という番組を提案させてもらって、打ち合わせに行くのに名刺を作りますよね。

その時に、「放送作家」と書いて、そこからいきなり作家になったんです。

高木 その時からテトラという名前で?

谷崎 テトラは18歳からです。プラトン立体であるテトラという言葉が降ってきて、おそらくこれは自分の名前なんだろうと思ってペンネームにしました。

その後、95年から96年にかけて世界中を旅する機会がありまして、アフリカに行ったんです。

高木 番組の企画で?

谷崎 いえ、自費です。アフリカで、生まれて初めて360度の地平線を見ました。セスナがスコールの中を抜けたとき、地平線から地平線までの虹を見て、それがまるで絵本で見るような虹で、とにかく感動して…。

そうしたら隣に座っていた女性が「虹に感動するなら、あなた、ペルーに行くといいわよ」と言うんです。

しかも日本に帰国して最初にかかってきた電話が雑誌の編集者からで、しかも内容が「ペルーで虹の祭りっていうのがあるらしいんだけど知っていますか」というもので、鳥肌が立ちました。

調べてみると、2月2日にマチュピチュで開かれるということがわかって、オフィスのスタッフと一緒に向かうことになりました。

高木 用意された運命のような流れですね。

谷崎 はい。ところが現地はどしゃ降りで、虹の祭りは中止らしいんです。

それでも雨の中を登っていくと、インディオたちが小さなセレモニーをしていました。

「これがその祭りですか?」と聞くと、「ここは入り口で、本当の祭りはアマゾンの奥地で行われる。

そこに参加するにはケロ族のイニシエーション(通過儀礼)を受けなければならない」と言われ、受けることにしました。

シャーマンに池の中に落とされて、水の底に背中がつくまで足で踏まれて、苦しい、もう駄目って時に引き上げられて「お前の今までの人生は終わった。

新しい人生はケロの仲間だ」と言われました。それから満月の夜に、薬草を煎じたものを飲まされて、鼻から吹き矢みたいなもので煙を入れられて。

高木 ああ、私も同じような体験をしましたよ。92年にリオの地球サミットでアマゾンに立ち寄った時に。

谷崎 じゃあ、僕らはブラザーフッドなんですね! 同じ体験をした者同士がこうして出会うんだなあ。

僕はその体験の中で、パチャママ(母なる大地)の声を聴いたんです。それがとても苦しそうだったというのが僕の印象で「日本に帰ったら、地球環境について勉強している人や団体を取材しよう。番組にも取り上げよう」と思いました。

それが97年のことで、ちょうど京都で「地球温暖化防止会議」があって、その会議を盛り上げようと市民団体が動き出しているところでした。

11月24日に「いい虹かけようレインボーパレード」が企画され、その立ち上げに僕も加わって、当時、最も大きな団体としてネットワーク『地球村』を知って、高木さんの講演会を何回か聴かせていただいて、本も何冊か読ませていただきました。

音楽家で環境の活動をしているというところにも共感しました。

 

新しい価値観を宣言しよう!

 

高木 ありがとう。流れはよくわかりました。では次に「ワールドシフト」の話を聞かせてください。

谷崎 環境を勉強していくうちに、誰もが一度はかかる病気があるんですね。

危機的な環境知識が入ってくる、伝えたい、周りの人とギャップができる、熱く語れば語るほど「ああ、あいつは環境にはまったな」と見られる。

「やばいんだ」と言えば言うほどみんなが離れていく。

僕がその時にどう思ったかというと、アナザーウェイというか、うまくいっている例を探したいと思って、世界中のエコ・ビレッジを回りました。

エネルギーや食糧を自給自足している小さなコミュニティ、これが未来の一つの形だと思うようになりました。

でも、世界に小さなコミュニティがいくらあっても、世界の貧困は止まらないし、多少ロハスになったくらいじゃ地球環境はよくならない。

どうやら、経済や金融、価値観、社会構造を含めた文明の転換が必要なんだと思うようになりました。

そんな時、2008年にアービン・ラズロー博士が来日されて講演を聴きに行ったんです。

その中で「ワールドシフト」という言葉を使って発展の方向を転換することが必要だとおっしゃったんです。

僕は「これだ」と思って、懇親会で「このキーワードを広めていくお手伝いをします」と言ったら、「もしあなたがやりたいのなら、あなたがおやりなさい」ということになって、ワールドシフト・ネットワーク・ジャパンを作りました。

ワールドシフト宣言のシートを作って提供すること、本を出版すること、WEBページを作ること、大きなイベントを開くこと、この4つを主な活動として行っています。

高木さんにもワールドシフト宣言をいただいてよろしいでしょうか。

高木 もちろんだよ。100枚くらい書きたいくらいだよ。私の中にはワールドシフトでいっぱいなんだ。

まずは「政治主導」から「市民主導」へと書こう。

これからもよろしくね。

 

■谷崎テトラオフィス

http://www.kanatamusic.com/tetra/

■ワールドシフト

http://www.worldshift.jp/