スペシャル対談

2012年3月号 大阪「原発」市民投票の舞台裏

大阪市では「電力の大量消費地で関電の大株主である大阪市で、原発の是非を問う住民投票をしよう」という呼びかけから、1ヶ月という短期間で請求に必要な署名を集め、42,673筆という法定署名数を達成しました。

不可能と言われながらも大逆転となった活動の舞台裏を、大阪のコミュニティスペース「モモの家」で伺いました。

 

普通の市民が社会を変える

 

高木:みなさん、今日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。みなさんの紹介も兼ねて取り組んだ内容を教えてください。

吉岡:私は障がい者の支援員をしていて、今までも労働問題などの市民運動に関わったことがありました。

高木:というと、素人が多い「原発」市民投票の中では珍しい方だね。

松村:素人ばかりで大変でした。でもそれが良かったんです。

市民運動をしたことがないけれど3.11以降に意識が変わった人たちが入ってきやすかったと思います。

高木:なるほどね。松村さんは何をやっている人?

松村:この(今居る)モモの家の管理人をやってます。

阪神大震災をきっかけとして自分の価値観の転換が起こって、その時に高木さんの本や講演会に出会って会員にもなりました。

その頃に食と暮らしを見直せる「場」としてできたモモの家に関わるようになって、今は管理人をしています。

市民投票では請求代表人として主に東淀川区で署名を集めていました。

蔦谷:うちは蕎麦屋なんですけど、(松村)志保さんにはとても気に入ってもらってて。

その繋がりから志保さんを「原発」市民投票の活動に誘ったんです。

:私は事務局で発送作業を手伝っていたんですけど、子ども連れのお母さんとかが「何か自分にできることを」って来てくれて、その度に泣きそうでした。

高木:ちょっと前まではいわゆるフツーの市民だった人たちが立ちあがったんだね。嬉しいなぁ。

 

不眠不休で孤軍奮闘

 

高木:あとは、若者も関わっていたんだね。山本さんはどんな経緯で手伝うことに?

山本:東京から地元の山口に帰る途中に、志保さんに会うため少し大阪に立ち寄るつもりが、結局3ヶ月も関わることになりました(笑)

蔦谷さんのお店に泊まらせてもらって、事務局の常駐スタッフになったのですが、それからがもう大変で…。

食べる時間も、トイレに行く時間も、寝る時間もないし、助けを求める時間も無かったです。おまけにごはんを買うお金もなくて…。

高木:すごいなぁ。君みたいな女の子が…。お父さん心配だよ!

蔦谷:地方から来てくれた子たち数人にはうちに泊まってもらいました。

彼らを住居と食事の面でサポートするのも私にできることだったので。

でも、みんな事務所から帰ってこないんですよ。帰ってきても3時とか4時とか。

 

原発は「私の問題」だから

 

高木:それは大変だったね。山本さんは大阪市民でもないのに、どうしてそこまで頑張れたの?

山本:私の地元は上関原発建設予定地のすぐ近くなのですが、原発について思うことがあっても政府に発言する機会がないんです。

そんな思いもあって市民投票の事務所に立ち寄ったら署名集めが迫ってるのに全然準備ができてなくて…。

「このままだとこの活動は失敗する。それを批判するのは簡単だけど、この問題は日本人全員とつながっていて、私の問題でもあるんだ。それなら私にできることをやろう」って思ったんです。

 

高木さんに「やるなら変われ」と言われ

 

高木:森田さん、素晴らしいメンバーに恵まれたね!そもそも、設備会社の社長のあなたがこの活動に携わったいきさつを教えてもらえますか。

森田:原発の是非を国民で決めようという「みんなで決めよう『原発』国民投票」のセミナーに参加したことがきっかけです。

「原発」国民投票のイベントの準備会議の時、ジャーナリストの今井一さんがスカイプのパソコンの画面から「みんな、大阪で原発市民投票やるぞー」っていきなり言い出したのが始まりです。

今井さんが出席したシンポジウムの席上で飯田哲也さんが言い出したことらしいんですけど

「電力の大量消費地である東京と大阪で原発稼動の是非を問う住民投票をやろう、東京都は東京電力の、大阪市は関西電力の株を大量に持ってる。
しかも大阪市は関電の筆頭株主やで、ここで住民投票やらん手はない!」

ということで、大阪での活動が始まりました。

私たちも最初は何のことか判らなかったのですが、日本にはまだ国民投票の仕組みはないけど、住民投票については地方自治法の直接請求という仕組みがあったんです。

私たち市民はもともとこんな権利を持ってたんだ!政治は自分たちで動かせるんだ!と勉強を重ねるうちに、大阪「原発」市民投票の請求代表者を務めることになりました。

私や今井さんほか請求代表者は全部で30人居ます。蔦谷さんと松村さんもそうですね。

高木:なるほど。そして、あるはずの「住民投票の仕組み」を実行するのが大変だったんですよね。

森田:はい。大阪市民の2%にあたる42,673人を超える署名を集めれば、大阪市長に対して住民投票実施についての条例制定を求める直接請求ができるのですが、その「集める」ってことが壁だったんですね。

人を呼び込めなくて、様々な取り組みがことごとく失敗していったんです(笑)

高木:ほとんどの人が市民運動を経験していなかったからね。僕も集会に行った時にとても心配したよ。

森田:いやぁ、お恥ずかしい。署名を集めはじめる直前になっても、30人の請求代表者が集まってない状況で、高木さんに呼びかけ人になってもらうお願いにあがったんでしたね。

高木:突然僕の自宅に来た時は驚いたよ。しかもどこか頼りなくてね。でも今はずいぶん逞しくなったね。

森田:当時はまだオドオドした態度でやっていたと思います。

そんな態度を見かねて高木さんに「やるなら変われ!」って言われて、翌朝起きた時に少し変わっている自分に気付いて。

色々な協力者も紹介していただいたし、これで「やれる!」と思いました。

 

署名集め開始!…でも、集まらない!

 

吉岡:駅前とかで毎日寒いなか駈けずりまわって、署名集めをしていたけど、素通りされてしまい、ぜんぜん署名が集まりませんでした。

素人集団ですし、最初はみんな「声をかける」ということができなかったんです。

やっと声をかけたら大阪市民じゃなかったりして。

でも、こんなに人間関係が希薄な世の中でいい仲間が集まっていたので精神的な面でカバーしてもらい乗り切れました。

蔦谷:私は普段お店をやってるから、最初はお店のトイレにチラシを貼ったりしてたけど、誰も反応してくれなかったですね。

だから覚悟を決めて会計の時にチラシを渡して署名をお願いするようにしました。

そうしたら、「ちょっと他の人の分も集めるわ」って言ってくれたお客さんが1人で100筆も集めてくれてたりして。

街頭に出ても最初は全然集められなかったけれど、次第に自分の気持ちを上手く言葉にできるようになりました。

 

そこには若者たちの必死の姿があった

 

森田:署名の締切が1月9日なのに、年末の時点で目標の6万筆に対して2万筆くらい。つまり、時間が3分の2経過したのに、署名は3分の1しか集まってなかったんです。

松村:活動中に何度も「ダメかも」って思いました。でも、目の前にはこのために集まってくれた若い子たちの必死の姿があって、「彼らの気持ちは無駄にしちゃいけない」という想いに支えられて頑張れました。

森田:私は、全国から集まった若者たちから多くを学びました。彼らを心から尊敬しています。

 

みんな原発が気になっている

 

高木:苦労話もたくさんあるだろうけど、たくさんの感動する場面があったでしょう。

吉岡:たくさんありましたね。署名集めの昼休憩でファストフード店にいた時に、横に座っていた不良少女グループがこちらを気にしているのに気付きました。

思い切って説明をすると「私、書くわ」って。原発への問題意識は色んな人が抱えてるんです。

また、ある雪の日には、街頭でおじいちゃんが署名をしてくれて、「若いのに、偉いな」ってパンとコーヒーを買ってきてくれました。

書いてくれた生年月日を見ると大正生まれで、戦後の日本を支えてきた世代からのエールは嬉しかったですね。

 

大逆転の始まり

 

西尾:そして、成功の決め手はスーパーでの署名集めでしたね。

山本:たまたま会議までに時間が空いていたので事務所の近所のスーパーに署名を集めに行ってみた人が、顔をキラッキラさせて帰ってきたんです。「スーパー前いいよ~!」って。

松村:やってみたら、主婦の人達がちゃんと自分の意見を持っていたんです!「私、原発反対やで、書くわ」って。

しかもみんな大阪市民で同じ区だから集めやすいんです。

西尾:スーパーごとに集めやすさが違うし、集める人によっても向き不向きがあるんです。

そのうちスーパー部長やスーパー専務と呼ばれるスーパーが得意な人が現れてきて。僕がそのスーパー専務なんですけど(笑)

松村:八百屋だった西尾さんは人を見極めるのがすごくて、彼がいると署名が集まるんです。

森田:最初は1人で1日30筆だったのが、集め方がうまくなってくると100筆とか、200筆とか!

松村:もう、私たち何でも路上で売れるよね!(笑)

 

奇跡は起きた

 

:正月にはサラリーマンが正月を返上して駆けつけてくれたんです。

その間にやっと私たちが少し休むことができて。そのころからサポーターが一気に増えてきたんです!

事務所に戻ってきて、その光景を見たときと言ったらもう!

高木:そうか~それは嬉しいよなぁ。

吉岡:新聞やテレビで取り上げられて、後押ししてもらいました。大阪市外からも手伝いに来てくれる人が増えたし、署名してもらう時に新聞を見せて、「怪しい者ではありません」って言えるし(笑)

蔦谷:僕なんか今でも「兄ちゃんテレビで見たで」って言われますもん(笑)

松村:そうして締切直前の1月4日くらいになって、やっと「ん?これは…行けるかも!!」って。

森田: スーパーで集めてもまだギリギリな状況だったんです。けどそこで、署名簿を渡して署名集めをお願していた受任者のみなさんが、ちゃんと集めてくれていて、終盤になってそれがバンバン送られてきたんです!

それが6万筆を越えて、これで無効な署名を除いても法定数を越えるだろうという数に達したんです。

 

役所まで応援してくれた

 

高木:活動中のお役人の反応はどうだった?

一同: すごく協力的で優しかったですよ。

高木:へ~、意外だなぁ。

森田:署名集めをする人(受任者)を選挙管理委員会に登録するのですが、けっこう記載事項の間違いがあって、そのままだとその人が集めた署名ごと無効になってしまうので訂正するのですが、それが大変なんです。

山本:その訂正を忘れていた時に、選管から「あの受任者の登録の訂正がまだ出てないですよ」ってわざわざ電話が来たりして。

森田:極めつけは、ある日、選管の人が名簿を持って自転車で事務所まで来てくれたんです。

「ここ、間違いがありましたよ」って。普通は絶対そんなことしないはずなのに。感激しましたね。

森田: 事務所で署名簿をチェックして61,087人の署名簿を各区の選管に提出したんですけど、選管が正式発表した署名総数が62,439人と1,300人以上増えていたのには驚きました。

私達が他区の署名が混ざっていたり未成年だったりでルール上無効だろうと×をした署名も「これは書いた人の気持ちだから」って署名総数に拾ってくれていたんです。

山本:集めた署名は大阪市内24区の役所の各選挙管理委員会がチェックするんですけど、大阪市の選管が各区の選管に対して、「市民の気持ちに応えたい」って伝えてくれたみたいです。

高木:それはすごい!相手も人間、本音では応援したかったんだろうね。

 

市民条例案の可決のために

 

高木:署名数はクリアしましたが、その後はどんな動きになりますか。

森田:2月14日に市長に直接請求を行い、その後、2月28日の本会議で市長が議案に意見を付して議会に付議して、関係委員会での審議を経て、本会議で議決されるところで決まります。

議決は「可決」「否決」「議会による修正可決」のいずれかになります。

だから、今は86名いる大阪市議会の議員さんに会いに行って、賛成してもらうように働きかけてるところです。

高木:じゃあこれからが一番大切な大詰めになるんだね。議員さんに会ってどうだった?

森田:議員さんって結構会ってくれるし、話を聞いてくれて、本音でも話してくれるということが驚きでした。

「私は原発反対です。市民投票も大切だと思います」って意見の人が結構います。しかし、「でも」が付くんです。「会派の方針には逆らえない」と。

その会派の縛りをどうほぐしていくかが課題なんです。今までは、自民はこんなところ、民主はこうで共産はこう、ってイメージがあったんですけど、実際に会うとそこには政党ではなく人がいるんです。

だから、派閥の論理に縛られている彼らも敵ではなくて、この人たちとも一緒にできるんじゃないかって思うんです。

山本:訪問すると、議員さんって、市民が何を欲しているのかを結構知らないんです。だから、政党と対立するのではなくて、ちゃんと対話して提案をしながら一緒に進めていきたいです。

議員さんに会いに行くってことは、もっと普通になっても良いと思います。

 

日本各地で「原発」住民投票が!

 

高木:この記事が出る頃には大阪の答えは出ているのですが、それを踏まえて読者に呼び掛けることはありますか?

森田:東京への協力をお願いしたいです。東京でも先日法定署名数をクリアして、都議会への請求と審議の段階になります。

大阪と同じく議員への働きかけをしますので手伝ってください。また、静岡では4月から浜岡原発の稼動の是非を問う県民投票条例制定の直接請求署名が始まりますし、新潟でも地元が盛り上がっていて、やる予定です。ぜひ協力して欲しいです。

 

「消費者」から「市民」へ

 

高木:この活動を通していろいろな意識の変化があったんじゃないですか?

松村:ありましたね。私たちは社会を構成しているのに、単なる「消費者」でしかなかったということに気づいたんです。

この活動は、社会の中で自分たちがひとつずつ持っている主権を思い出させる装置でした。

森田:そうそう。私たちはまだ「市民」にすらなっていなかった。今までは、社会問題には悪役がいて、「あいつを倒せ!」ってものだと思ってたんです。

でも、どこにも敵はいなかった。自分がどう考え、どうありたいか。

社会は一人ひとりが作っているものなので、人の意識が変わることが、社会が変わるということだったんです。

蔦谷:私たちの周りの問題は私たちが解決していけるんだって気付きました。自分の力に気付きましたね。

そのためには、身近な問題をちゃんと感じれるってことからだと思います。意識が変わると世界中の問題が見えてきますね。

同時に、この運動を通して自分がどんな社会が欲しいのかが見えてきました。

松村:そうやって目覚めた人がもっと増えれば、世の中は変わると思う。

高木:素晴らしい気付きだね。この大阪「原発」市民投票は、市民の持つ権利を大阪市民全員に思い出してもらうという取り組みだとも言えるね。

みなさんとお会い出来てよかったです。『地球村』としても応援していきます。今日はどうもありがとう。

■みんなで決めよう「原発」国民投票
 http://kokumintohyo.com/