巻頭言

【巻頭言】全面核戦争突入直前

『地球村』ツアーとして、昨年のブータンに続き、今年はキューバに行きました。

『地球村』ツアーは、日本や世界がめざすべきモデルの国を訪問し、その歴史、社会や人々に学び、それを紹介しようとするものです。

キューバとは

アメリカのカリブにある島国。
面積は11万平方キロ。
北海道より大きく、本州の半分くらい。
人口は1000万人。共和国。

「砂糖」「ラテン」「ルンバ」「陽気」などの明るいイメージと、「カストロ」「キューバ革命」「キューバ危機」という政治的な事件でも知られています。

キューバ革命

1959年、カストロはゲバラと共に、当時、アメリカの植民地状態だったキューバの傀儡(かいらい)政権を倒して社会主義宣言。
それ以来、アメリカ政府(CIA)はカストロ政権打倒を目指し、何度もカストロの暗殺計画とキューバ政府の転覆計画を実行した。
こうした動きがカストロの危機感を煽り、ソ連と接近させる結果となった。

キューバ危機

1961年、アメリカ政府(ケネディ大統領)は、キューバに「ピッグス湾攻撃」を仕掛けたが、これも失敗した。
これに激高したケネディは、1962年より強力な「マングース作戦」を開始した。
数千名の秘密工作員をキューバに送り込み、破壊工作と情報操作を繰り返した。
同時に、アメリカはカリブ海でキューバ侵攻作戦の演習を繰り返した。
追いつめられたカストロに対し、ソ連(フルシチョフ大統領)が、核兵器の持ち込みを持ちかけた。

「アメリカは貴国を攻撃する予定。核兵器以外に防衛の道はない」

キューバにとっては天の助け。
ソ連にとっては、アメリカの喉元に核兵器を設置できる。
双方にとって大きなメリットがある。カストロはこれを受け入れた。
周到な秘密作戦で、キューバに施設を建設、ミサイルを搬入、核弾頭を搬入、計画は着々と進んだ。

しかしフルシチョフ大統領は、核使用を禁止すると共に、キューバ軍にもアメリカ偵察機U2に対する発砲を禁止。
フルシチョフはケネディに打電「キューバを侵攻しないこと」
「ソ連はキューバの核を撤去、米国はトルコの核を撤去すべき」
世界はこれで危機を回避できると安堵した矢先、
アメリカ偵察機U2がキューバで撃墜される。
フルシチョフは攻撃を禁止していたから、この撃墜はキューバの現場の判断だったかもしれない。フルシチョフは激怒。
ケネディも激怒。作戦会議(エクスコン)はケネディに最終結論「キューバを全面爆撃と上陸作戦」を進言。
米ソの全面戦争の危機はピークに達する。  

「米国の偵察機U2機撃墜」のニュースは全世界を駆け巡り、世界の不安もピークに達した。

「世界大戦か」「核戦争突入か」「核戦争には勝者なし」「世界の終わりか」「人類は生き残れるか」
などのヘッドラインが飛び交った。
この時の資料によると「核戦争が起こると、キューバは消滅、アメリカ国民の7割、ソ連国民の4割が死亡」と予測。
当時中学3年だった私も、固唾をのんでニュースを注視していた。

 

10月16日 アメリカがキューバのミサイル配備を発見。
ケネディは衝撃を受ける。アメリカはキューバ攻撃の準備開始。

ここから「世界を震撼させた13日」が始まる。

10月20日 アメリカは、キューバ攻撃準備体制完了。
10月21日 アメリカはキューバを海上封鎖。
10月22日 ケネディのテレビ演説「断固、ミサイル配備を許さない」
10月23日 ソ連は核ミサイルの配備を急ぐ。
10月24日 アメリカ、デフコン2発令(全面戦争突入直前)
アメリカ、数十万人の兵士、数百基の爆撃機を待機させる。
攻撃用の核兵器1600発を装備した。
10月25日 国連安全保障理事会で激しく対立、激論を戦わせる。
10月26日 ソ連、キューバのミサイルに核弾頭を装着。臨戦態勢完了。
10月27日 フルシチョフはテレビ演説
10月28日 ケネディ大統領は、キューバを攻撃するかどうか苦悩していた。
当時、司法長官だった弟ロバート・ケネディによると「大統領の顔は引きつり、苦悩のため両目はほとんど灰色に見えた」という。
ケネディも全人類の生死に責任を負っていることを自覚していた。
フルシチョフ大統領もクレムリンで、アメリカのキューバ攻撃に対して、どう対応すべきか苦悩していた。
そこにアメリカから情報が入った。
 「ケネディ大統領は教会に行った。その後テレビ演説の予定」と。
フルシチョフ以下クレムリンの参謀は、「アメリカの大統領は、
開戦直前には教会に行き、そのあと演説する」との情報をもとに、「アメリカの攻撃」を確信。
当時ホットラインがなかったので、両国の大統領は直接話ができなかったし、当時は打電も5時間かかった。
何をしても間に合わない。フルシチョフは決断した。
そして、最も早い方法としてテレビ演説をした。
「ソ連はキューバの核ミサイルを撤去する」と発表
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この衝撃的なニュースは世界を駆け巡った!
フルシチョフの衝撃的な演説で、全面核戦争の危機は去った!
世界は安堵し歓呼の声を上げた!
当時、中学生だった私も、衝撃的な歴史に立ち会うことができた。

 

核戦争を回避した「フルシチョフの土壇場の判断」は、アメリカからの情報「ケネディは教会に行き、テレビ演説の予定」に基づくものだった。
しかし、実はこれは誤報だった。
ケネディは毎週日曜には教会に行っていたから、これは特別なことではなかったし、この日はテレビ演説の予定もなかった。
しかし、この人類最大の危機を回避したのは、この誤情報であった。
この誤情報は、なぜもたらされたのか。
偶然か意図的か。
もし意図があったとしたら、それは、どういう意図だったのか。
戦争をさせようとしたのか、戦争を回避させようとしたのか。
それは、今も謎のままである。

ここで言えるのは、
全人類を破局に導く核戦争も、1国のトップの「利害、恐怖、メンツ」であり、この核戦争を回避できたのも、両国のトップの冷静な話し合いや判断ではなく、偶然の誤情報によるものだった。
もし、偶然の誤情報がなければ、核戦争に突入して、人類は未曾有の危機を迎えていた可能性が高い。

※当時、西側諸国(資本主義圏)では、「核戦争は、ケネディの冷静な判断で回避された」と報道されたから、西側の人々はいまでもそれを信じている。

こうして、「人類が核戦争の危機に直面した13日」が終わり、

11月20日  デフコン2(全面戦争直前)は解除された。

 



     「過ちを犯す人間と核兵器が存在する限り

      人類滅亡の危機は存在し続ける。

      それを防ぐ唯一の方法は核なき世界に戻ることだ。

      それこそがキューバ危機の教訓なのだ」

               (当時の国防長官 マクナマラ書簡)

 


あれから50年・・・

ほんとうに核戦争の危機は去ったのか・・・

 


アメリカは、キューバ危機の翌年、ベトナム戦争を始めた。

ソ連はハンガリー、チェコ、ポーランド、アフガニスタンなどに侵攻。

ソ連崩壊後のロシアはチェチェンなど周辺国に侵攻。

中国もまたチベット、モンゴルなど周辺国に侵攻。

キューバ危機の時、マクナマラ国房長官が述べた「核なき世界に戻ること」は実現していないだけではなく、むしろ核保有国は増えている。

 


※キューバ危機の真相は、「NHKスペシャル キューバ危機・戦慄の記録 十月の悪夢 前編・後編」のDVDをご覧ください。