【巻頭言】ほんとうのこと
喉が痛い。
風邪かもしれないから、走るのはどうしようかなあ、と思ったけど、いつものように「エイヤ!」と奮起して走りに行った。
すると、走っていると喉の痛みを忘れた。
それは喉の痛みより、走ることの方がしんどいから。
これは当たり前のことだけど、ふと気づいた。
なにも心配が無い時は、ちょっとしたことが気になる。
でも、大きな問題が起これば、ちょっとしたことは気にならなくなる。
大きな借金ができれば、小さい借金の方は気にならなくなる。
ヒマな時は、ちょっとしたこともいろいろ考えてしまうが、忙しい時は、ちょっとしたことなど考えるヒマはない。
ちょっとしたことは放っておいても、ほとんどの場合どうってことはない。
時間が解決してくれるし、よく考えれば、放っておいても問題になることはほとんどない。
私は多くの相談を受けるが、聞いてみれば、ほとんどは下らんことばかり。
「で、どうしたいの?」と聞くと、その人は「くどくど」と言う。
「じゃあ、やれば?」と言うと、その人は「くどくど」と言う。
「じゃあ、やめれば?」と言うと、その人は「くどくど」と言う。
「じゃあ、やれば?」と言うと、その人は「くどくど」と言う。
「じゃあ、好きなようにやれば」と言えば、その人なりの答えが見つかる。
(ナンダ、コリャ、サッサ~♪)
本当に貧しい国の貧しい人は、生きることで必死だから悩まないし、病まないし、自殺もしない。
でも日本は悩む人が増えて、病む人が増えて、自殺が増えている。
これは、豊かになり、生きることに必死にならないからでは。
要はヒマだからでは。
そもそも、本当に大変だったら、引きこもるだろうか。
本当にお金がいるなら、ぶらぶらしていられるだろうか。
本当に働きたかったら、「仕事が無い」なんて言っていられるだろうか。
仕事なんていくらでもある。 (きつい仕事はイヤ、人間関係はイヤ、給料が安いのはイヤ、肉体労働はイヤ) などと選り好みを言っているからではないか。
結婚したいけどできない、なんてあるだろうか。
本当に結婚したければチャンスはいくらでもある。 (不細工な人はイヤ、給与の安い人はイヤ、背の低い人はイヤ、ハゲはイヤ) などと選り好みを言っているからではないだろうか。
※最近、若くて美人で素敵な女性が、「結婚して、と言ってくれれば誰とでも結婚する」と言うのを聞いて感動した。
そもそも、仕事にやりがいが無いとか面白くないとか言うが、 ほんとうに忙しければ、やりがいとか、面白いとか、考えるだろうか。
どんな仕事だって必死でやれば満足じゃないだろうか。
「イヤだ、イヤだ」と思いながらやるから、面白くないし、疲れるのでは。
つまらない、楽しくない、なんて甘えじゃないだろうか。
要は、ヒマなんだ。
仕事に集中せず、打ち込まず、必死にやらないから、面白さもわからず、そこまでに至らず、不満状態のまま周りを眺めるから、他と比較し不満を募らせて、余計につまらなくなって、余計に疲れてしまうのではないだろうか。
その結果、仕事にミスが出て、迷惑をかけ、叱られ、嫌がられ、居る場所が無くなり、辞めざるを得なくなるのではないか。
本当に仕事がしたいなら、仕事はいくらでもあるし、本当に生きることに必死なら、「つまらない」とか「疲れる」なんて思わないはずだ。
成功した人の話で、「最初の数年は夜中まで働いたなあ。帰って寝るだけだったなあ。睡眠時間は4時間。とにかく働き詰めだったなあ。必死だったから疲れもなかったし、不満もなかった。やめようなんて考えもしなかった」 なんて話、よく聞くが、その通りだと思う。
本当にやりたいこと、やらなければならないことは、誰だって必死になるのだ。
赤ちゃんを産むことは、並大抵のことではない。
赤ちゃんを育てることも、並大抵のことではない。
でも女性なら誰でもやる。
誰でもやれる。 必死だから。やるっきゃないから。
お百姓さんは、「今日はしんどいから休もう」なんて言ってられない。
今日やることは今日やるっきゃないのだから。
昔の人も、貧しい人も、みんなこんな状態だったのではないだろうか。
狩りをしに行くしかない、水を汲みに行くしかない、薪を取りに行くしかない。
生きるためにはやるっきゃないんだから。
そこには、選択の余地はない。
楽しいとか、やりがいとかの余地もない。
余地がないから、迷いもない。
迷いがないから、気が散らない。
エネルギーも集中できる。集中するから上手くいく。
自然界を見てみるといい。
必死に狩りをしないライオンはどうなるだろう。
必死に逃げないシマウマはどうなるだろう。
「体調不良だから、疲れたから、やりがいがないから」なんてあるだろうか。
今の世の中、とても不自然だ。
何もしなくてもなんとかなる。
これだけはやらねばならない、ということもない。
お金に困れば生活保護という道もある。借金しても自己破産すれば返さなくてもいい。
今の世の中、サボろうと思えばどこまででもサボれるのだ。
生きることに必死がなく、必然がなく、必要がない。
最低の線というものがないのだ。
どこまでも落ちることができるというのは恐ろしいことだ。
便利快適な世の中というのは、底なし沼、底なし地獄かもしれない。
どうすればいいと思う? 自分で考えることだ。