スペシャル対談

2014年1月 人形作家 石井美千子さん

赤子に乳を含ませながらおおらかに笑うお母さん、その姿を優しく見守る祖父母。

嬉しそうに兄のランドセルを逆さまに背負う少女。

先生に叱られながら後ろに隠した手では悪さを続ける子どもたち…。

懐かしさを感じさせる「昭和のこどもたち」の人形作家、石井美千子さんのアトリエを訪問しました。

 

 

300年先にも残る人形。

高木 こんにちは。お久しぶりですね。

石井 10年以上前になりますね。

高木 私は、石井さんの写真集を最初に見たのは15年以上前で、講演のエンディングに、未来のあるべきイメージとして紹介していました。このアトリエはいつからですか。

石井 7年前です。㈱アトリエみちこも一緒に立ちあげて、今は人形作家であり、会社の代表でもあります。

高木 そうでしたか。ここにも人形がたくさんありますが、どのようにして作られるのですか?粘土ですか?

石井 いえいえ、木質なんですよ。桐(きり)のおが屑で作られていて、300年は持ちます。

高木 300年も!

石井 桐塑(とうそ)という技法で、古くは仏像もこの技法で作られていたと言われています。簡単に説明しますと、原画をもとに油粘土で像を作って、石膏で型を取ります。その型へ、でんぷん糊と桐の粉と混ぜ合わせた桐粘土を嵌め込んで復元します。胡粉(ごふん)という白い絵の具を下塗りして岩絵の具で仕上げます。

高木 手間のかかる技法なのですね。その技法を使うようになったのはいつからですか。

石井 最初からですから、30年前です。

高木 最初からですか。最初から手間のかかる技法を使った理由は?

石井 永く残るもの作ろうと思ったからです。

 

「昭和のこどもたち」を未来へ。

高木 「昭和のこどもたち」を作ろうと思ったきっかけは?

石井 育児をしている頃、時代が急激に変化していきました。自分の子ども時代の経験を、そのまま自分の子どもに当てはめて子育てすることが難しい時代だったと思います。そんな時に、「お父さんやお母さんの子どもの頃はね」と言葉で話すよりも、一目瞭然に伝わるものをと思って、人形作りを始めました。

高木 なるほど。それはわかりやすいね。

石井 今の子どもたちに、私たちの子ども時代を伝えて、「変わってほしい」って思っている訳なんですが、すぐ変わることはできないですよね。でも300年も過ぎれば、人は何らかの形で人間本来の姿に戻っているでしょう。人間性を喪失するようなこんな時代の中で、ストレスとの闘いでうつ病ばかり増えていますが、徐々に人に優しい時代になっていくと思うんです。人はいつの時代に生まれてきても、必ず不条理とぶつかります。そこを乗越えて努力し、学びながら徐々に自分を変えていくことで、もっとも本質的な自分へと成長することができます。それこそこの世を生きてみて感じる究極の幸福というものではないでしょうか。

高木 素敵な考えだし、素敵なライフワークだね。

 

未来がよりよく変わるように。

高木 私は最初の写真集が衝撃的で印象深いですが、あれは何年前でしたか。

石井 16年前です。当時は100体くらいでしたが今では300体の人形があります。

高木 これまでに何か変化はありましたか?

石井 人形の表情も、初期は表情が少なかったですが、だんだん喜怒哀楽の感情が豊かになりました。それと展示の方法も変わりました。

高木 なるほど。写真で見る「昭和のこどもたち」は、水たまり、石ころ、瓦屋根、それらが人形とぴったり合っていますね。ビー玉やベッタン(めんこ)で遊んでいる様子もすごくリアルで、家、学校、電信柱など、現物の背景とまったく違和感がないから、ひょっとして実物大かと思っていましたよ。

石井 いえいえ、ごらんの通り、人形は人間の4分の1縮尺で作っています。最初に撮影イメージの絵コンテを描いて、その絵コンテに合わせてロケ現場を探します。写真を撮るときは、下から煽るように撮ることでリアルになります。

高木 写真集は、その後、何冊か出されましたね。今も新しい写真集を作っておられるところですか?

石井 はい。いま取り組んでいるのは「海の人」の世界。「人間の時代」と言われた高度経済成長期前の海を背景とした心象風景です。今は男の海士(あまし)さんたちを作っているところで、前作で女の海女さんたちを作りました。

高木 男の海士というと?

石井 女性は皮下脂肪が多いので、海女さんの北限は岩手県久慈市だそうですが、男の海士さんは佐田半島(愛媛県)が有名です。東日本大震災の鎮魂の想いもあって海洋民族としての側面も合わせ持つ日本人の原風景を表現したいと思っています。海女さんの磯メガネも海女船も、4分の1で作ってあるんですよ。

高木 すごいね!この小さな道具はどこかで売っているのですか。

石井 みんな手作りです。小物まで一切手を抜いていません。私たちが死んでも、後世に残る仕事ですから。

高木 他にはどんなお仕事をされているのですか。

石井 自治体や企業からの依頼があります。自治体からは「昭和のこどもたち」のブロンズ像や、地域の有名人の肖像の依頼、企業からは創業者の理念を表現する塑像の依頼などがあります。ありがたいことに、一生かかっても作り切れない注文を受けています。「昭和のこどもたち」は、当初は売らない人形だったんです。子どもに、真理・真実というか、誰でも納得できるようなことを伝えたいというのが、昔から私が思ってきたことで、ここは変わっていません。私自身、もともと孤児としての出自で、食べること、結婚、介護、子育て、制作、とにかくいつも必死でした。

高木 なるほど。そこが大切なんですよ。よくわかりました。では最後に、今後の夢を教えてください。

石井 私の根底には仏教があります。今の時代の乱れは将来、必ず正されると信じています。私の人形が、その役に立つことが私の願いの一つです。未来の人たちが、これを見てこの時代に思いを巡らせ、制作者の魂に思い巡らしてもらえたなら光栄です。

高木 なるほど。それはロマンのある夢ですね。今日はありがとうございました。


■「昭和のこどもたち」アトリエみちこ
http://www.showa-k.net/index.php