【巻頭言】あれから3年
あれから3年、あらためて東日本大震災を振り返ってみる。
★家の全半壊 40万戸(100万人)
★避難者 ピーク時40万人(現在27万人)
★犠牲者21,490人(死者15,884人 行方不明2,633人 関連死2,973人)
復興庁によると、
災害公営住宅完成 2,347戸(計画の9%)
移転先で自力再建 1,388戸(計画の6%)
仮設住宅の入居者 104,050人(入居率84%)
この数字を3月11日の新聞で知って愕然とした!
住宅建設が計画の9%や6%ってどういうこと??
土地のめどが立たない、自治体の力不足、建設資材不足、建設会社の人員不足らしい。しかし、それが東京オリンピックで、どうなると思う?
人もお金も建設資材も、東京に流れていくため、東北の被災地はもっとひどい状態になるという。
「私たちは見捨てられたんだ・・・切り捨てられたんだ・・・」
「私たちは所詮、東京に電力を送るための植民地だったんだ・・・」
という思いを深くした人が多いのは確かだ。
★仕事がない、家がない、生活がない、友人もいない。
避難して、月10万円の手当を貰える人はまだ運がいい方かも知れないが、それでも家賃と食費で消えてしまう。自主避難の人には、その手当すらない。
温かい支援の手が差し伸べられる人はまだ運がいい。
それもなく、周りから白い目で見られ、邪魔者扱いにされたなら・・・
★お父さんが東電だから
事故のあと、家族はばらばらになった。お母さんがお父さんを責めた。お父さんは黙って耐えていた。避難先に移転したが、学校でお父さんが東電の人だと知れて責められた。お父さんはずっと現場で事故処理、時々帰ってくるけど、痩せて疲れ果てて会話はない。もう家族は元に戻らないと思う。
★希望に向けて
津波で壊滅した筏(いかだ)を前に途方に暮れていたカキ漁師たちが立ち上がった。半年後には、海に筏が並んだ。その数800。1年後には3000。津波前の1割。3年たったいま、筏は1万を超えたが、津波前のまだ4割。それでも「漁ができることが嬉しい」と日に焼けた顔をほころばせる。
★ガソリンスタンド
ひと気のない街にガソリンスタンドが営業している。「なぜ?」と聞くと、「誰かが始めないと誰も始めないから」と答える。「商売になりますか」と聞くと、「ならないよ。休業補償もらってる方がいいよ」と答える。それでも町を元気にしたいから。散髪屋を営業する人もいる。人は働きたいんだ。役に立ちたいんだ。それが生きている証なんだ。
★小児甲状腺ガンが33人
100万人に1人という小児喉頭ガンが、人口200万人の福島県で33人見つかった。さらに小児甲状腺ガンの疑いが9人見つかった。非常に高い率だが、県の病院では「放射線との関連はない」、さらに「他の病院で受診しないように」としている。詳細な説明もなく、情報開示もなく、家族はとてもおかしな状況に置かれている。
★原発の6割、審査申請のめど立たず
日本の原発48基中30基は申請の見通しが立たないことがわかった。うち13基は国の規制基準を満たすのが難しい。つまり3割は再稼働できず廃炉を迫られる。しかし17基は適合審査を申請して再稼働を待っている。