スペシャル対談

2014年7月 地球友の会 代表理事 宮内淳さん

70~80年代に一世を風靡した刑事ドラマ『太陽にほえろ!』の「ボン刑事」こと宮内淳さんは、俳優業を卒業し、影絵劇団「かしの樹」主宰、公益財団法人「地球友の会」代表理事など、様々な社会的活動をされています。そして現在は、国連環境計画(UNEP)の日本協会設立のために発起人をつなげているところです。

 

 

世界中を見てみたい!

高木 はじめまして。俳優業から環境活動へ移行し、日本UNEP協会を作ることに奔走しているとのこと、お会いするのを楽しみにしていました。しかも愛媛生まれ・大阪育ちとは、私も共通ですよ。

宮内 僕は大阪には高校までいて、大学は九州、そこを中退して、文学座の養成所に入りました。高校の時は、宮崎の航空大学校に入ってパイロットになろうと思っていたのですが、視力が落ちて諦めざるを得なくなりました。まあ、パイロットになりたいっていうのもね、飛行機が好きな訳じゃなくて、世界を見てみたいと思ったからなんです。パイロットなら見られるんじゃないかと思ったんですが、後でパイロットに訊いたら、そんな時間なんか無いそうですね。

高木 パイロットは空港とホテル間の往復くらいで、現地のグルメも食べられないでしょうね。

宮内 そうなんです。それで結局、芸能界に入ったら、「世界に行きませんか」という話が来て、世界中を回ることになりました。

高木 それはどういったきっかけで?

宮内 僕が『太陽にほえろ!』に出演している頃、川口浩さんが秘境を探検する番組を持ってヒットさせていたんです。秘境ブームの中で「宮内さんもどうですか」という話が来て、元々地球を見たかった僕はその話を受けて、10年以上そういう番組を任せてもらいました。そういうことで、高校時代の夢が叶えられたという訳です。

高木 どれくらいの国を回ったんですか。

宮内 86ヵ国です。普通の観光客が行かないようなところを北から南まで回って、地球とはこういう風になっているのかと知りました。30歳から40代半ばまでの十数年の間のことです。

高木 どんな発見や気付きがあったのですか。

宮内 まずは、自分の持っている地球儀を変えたんです。国境線の無い地球儀をご存知ですか。

高木 もちろん知っていますよ。あれこそ地球の姿ですね。大地や海に国境線なんかありませんからね。

宮内 その通りです。

 

 

自分の身体に訊いてみよう。

高木 俳優業はすっかり辞めてしまったのですか。

宮内 『太陽にほえろ!』の後に『あさひが丘の大統領』で先生をやって、その後は世界を回っていました。俳優は辞めましたが、芸能界にいた頃と、身長・体重が変わっていないんですよ。

高木 それはすばらしい。 鍛えているのですか。私は60を過ぎてから走り出したのですが。

宮内 僕も走ろうと思った時期があって、運動靴を買って皇居まで行ったのですが、走っている人が苦しそうで、(これは身体に悪いんじゃないか)と思って、やめて帰ってきました。その頃ちょうどオリンピックをやっていて、陸上100メートルの中継を見たんです。スローモーションで見ても、選手たちがすごくいい顔をしている。それで短距離の全力疾走を始めました。隅田川の土手で、50メートル全力疾走を5本、6本。よくよく考えてみたら、ジョギングでは足の裏が全部、地面に着くんです。かかとが着くというのは、膝に来るんですよ。全力疾走は、かかとは着かずに、前傾姿勢でつま先だけで走る。これなら膝に負担が来ない。これはいい健康法だと思って、5年くらい続けましたかね。

高木 なるほど。その他には何か。

宮内 高木さんもそうだと聞きましたが、食事を一日一食にしています。食事も自分の身体に訊こうと思って、目をつぶって最初に浮かんだものを食べようと決めたんです。そういうやり方で毎日の食事を決めていったら、お腹が空かないと浮かばないんですよ。

高木 ははは、なるほど。一日三食と決めて、お腹の都合に関わらず食べる方が不自然ですね。

宮内 できるだけ自分の身体に欲求を訊いて行動するうちに、一日一食になりました。不思議なことに夕方3~4時くらいにお腹が減るんですよ。お腹が空いたら食べますよね。食べると眠くなるじゃないですか。食後すぐに寝ちゃいけないという人がいますが、眠くなるということは睡眠を欲しているのだから寝てみようと実験しています。この7、8年は、3時か4時に食べて、寝て、8時か9時に目が覚めて、そこから自分の好きなことをして、また深夜に寝る、という一日二回寝る生活を続けています。

高木 とても自然な感じがしますね。感性、直観を大事にして生きているんですね。

宮内 僕は大学を中退して芝居の世界に入って、すぐに上手くいっちゃって、それから世界を回っています。実は一回もサラリーマンをやったことがない。上司もいない。自分のことは自分で考えなくちゃいけない人生なので、人の言うことを聞く習慣が無いんです。それで、自分の欲求に素直に従っているんですね。

 

 

日本UNEP協会設立に向けて

高木 では最後に、UNEPとの関わりについて話しましょう。どういういきさつなのですか?

宮内 役者っていうのはそもそも食えないものですが、僕は『太陽にほえろ!』に出て食えてしまったので、仲間たちみんなが食える方法はないだろうかと考えて、影絵の劇団を作ったんです。小学校を回って上演していたら環境省から連絡が来て、「宮内さんの『影絵劇団かしの樹』の作品をUNEP協会の柱にしたい」と言うんです。そこからつながりができました。その時の協会はもう無いのですが、今回、あらためて日本UNEP協会設立のために発起人を集めて会議を開き、正式にスタートさせようということになり、こうして順番にお会いしている訳です。

高木 現在、呼びかけ人は十数名ですが、ほとんどが国連関係、政府関係、大学関係ですね。私が入ったいきさつは?

宮内 代表世話人の方からの推薦です。民間団体からは、僕と高木さんだけですね。それと企業一社の社長さんが入っています。UNEPに貢献し、環境活動に熱心な企業と民間団体ということです。

高木 日本UNEP協会は私も期待していたので、まだまだ道のりがありそうですが、ぜひ頑張ってください。できるだけ応援致します。

宮内 応援などと言わず、共に頑張りましょう!