巻頭言

【巻頭言】吉田調書

原発事故について、現場の状況を最もよく知る、当時の原発所長の吉田昌郎(故人)の衝撃の証言(吉田調書)を朝日新聞が入手してスクープした。
吉田調書は政府事故調の調査資料の一部で、聴取13回、28時間、50万文字(400ページ以上)の資料である。聴取は全772名、1500時間。平均2時間だから、吉田氏の聴取がいかに重要であったかがわかる。
政府は隠ぺいしてきたが、このスクープをきっかけに、政府はその存在を認め、「本人の了承があれば公開する。吉田氏は昨年死去されたが生前、公開を望まなかったので公開しない」という異例の声明を発表した。
しかし、朝日新聞が公開した吉田証言の中では、本人は公開を望んでいたことと、その証言内容の重要性は他の証言とは比較にならない。
膨大な内容なので、そのポイントをお伝えします。

★全電源の喪失は想定外
これまでの事故の想定は、「緊急時には炉心を停止すること」。
今回も、それは上手くいった。しかし、その後は考慮されていなかった。
事故対策として、一部の停電は想定していたが、それは非常用電源でカバーできて、その間に停電を修復できるという想定だったから、今回起こった全電源の喪失という事態、次々に起こる重大な事態にほとんど打つ手はなかった。
緊急用装置のテストもしていないから、わからないことが多かった。
今回の事故は、これまでの事故の想定を根底から覆すものだった。

★私も判断を誤った
IC(非常用復水器)の現場から、「ICの冷却水を補給するために非常用電源をこちらに回してもらいたい」と要請があったが、吉田所長は、炉心冷却を続行した。「あとで考えると、あれは大きなミスだった。あの時、非常用電源をICに回していれば、爆発は避けられたかもしれない。しかし、あれほど重大な危機が同時に多数進行して混乱している中で、一人の人間が全てを正しく判断、正しい命令を出すことは不可能」と述懐している。

★危険なドライベントも住民に知らせなかった
3月14日、3号機の圧力容器が上がり、最悪の炉心爆発の危機が迫った。圧力容器を下げるために高濃度汚染ガスを人工的に放出するベントが必要。水を通して放出するウエットベントの方が住民被害は低くなるが、これが上手くいかず直接放出するドライベントの準備をした。放射線量はウエットより1000倍くらい高くなるから、政府は住民に危険を知らせる義務があったが、知らせなかった。
結果的には、ドライベントより前に建屋が爆発し、炉心の圧力が下がり、最悪の炉心爆発はまぬかれた。しかし、ここでも重大な隠ぺいがあったのだ。

★原発所員、所長命令に違反し撤退
3月15日朝6時、2号機の爆発。所長は「敷地内待機」を指示したが、東電社員720名の9割(650名)はバスと自家用車で12キロ離れた「福島第二」に避難。その中には幹部社員もいた。残ったのは所長以下69名。
対策が手薄となり、放射線量が急激に上昇、最悪の事態になった。
「事故が起こったら所員は、所長の命令に反して逃げた」
この事実を政府も東電も隠ぺいしていた。
 ※東電は国会で「全員撤退などありえない」と証言したが、吉田所長は「当時、私も社長が官邸に全員撤退を進言したことを聞きました。炉心爆発の危機が迫った時、私ももう打つ手がない、全員撤退するしかないと考えて、そのことを社長と細野さんに進言しました」と述べた。

★『決死隊』は行った
1号機と3号機の爆発によって、作業は一時中断。
放射線量の高いガレキの除去が必要になり、より作業が遅れることになった。
政府による線量の限度の引き上げ(100→250ミリシーベルト)によって、作業が続けられるようになったので、作業員の健康リスクと引き換えに、事故の収束作業は続けられた。

★真水か海水か
吉田所長は炉心溶融を避けるため、本社に海水の注入を進言したが、本社は拒否。しかし所長は爆発を回避するため独断で海水注入を開始。もし、これが無ければ爆発の可能性大。途中で本社か官邸から「海水注入中止」の命令を受けたが、海水注入を続けた。もし、この時、海水注入を中止していれば、爆発の可能性大。

★4号機の燃料プールが爆発しなかったのは偶然
4号機の燃料冷却プールには、多数の燃料棒が冷却されていて、その冷却が止まると、数日で冷却水が蒸発して、燃料棒が露出すると爆発が起こり、最悪の事態になる。実際に3月16日、プールに水があるかどうかを確認するために自衛隊のヘリが上空を飛んだ。本当はすでに冷却水は蒸発している時間だった。
関係者が固唾を飲んで見守る中、水面が見えた!全員から安堵の声が上がった! 吉田所長は「冷却水が残っていたのは奇跡。理由はシュラウド交換工事の設計ミスと施工ミス。その結果、別の場所の冷却水がプールに流れ込んだのです」

★「公表してもいい」
質問の最中、「この証言は全て公表される可能性がありますが、よろしいでしょうか」と聞かれ、吉田所長は間髪を入れず「けっこうでございます」と答えている。
※朝日新聞のスクープのあと、菅官房長官は「吉田所長は非公開を求めていたので、公開しない」と発表したが、疑わしい。

以上、吉田証言全文⇒ http://www.asahi.com/special/yoshida_report/
政府は非公開にしているので、削除される可能性がある。

吉田調書を読みながら、暗澹たる気持ちになった。
吉田氏は、現場で何ヵ月も命がけで奮闘し、13回、28時間の証言をし、今後の原発行政や事故対策に大きな転換が起こることを望みながら、その重要証言が闇に葬られ、まるで原発事故など無かったかのように原発再稼働が進む状況にどれほど心を痛めただろう。
吉田所長は、失意と苦悩の中で、喉頭ガンが悪化、急逝した。
ストレスと気力の喪失で免疫が低下し、ガンも進行するから、彼もまた原発事故死の犠牲者の一人だったと、私は確信する。